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江戸期の最終段階の地形の再現を目指し、発掘調査で確認された往時の地形と最終段階に最も近い絵図である「御城分間御絵図(嘉永3年(1850))」を根拠とし、排水や遺構の保護に支障がない高さまで地盤を嵩上げしたうえで、石垣や既存樹木など現況の地形と調和するように造成します。
江戸期の庭園では城内の辰巳用水から導水された滝が水源の一つとなっていましたが、今回の整備においては、いもり堀や深井戸からの補給水を池の水源とします。
発掘調査では、玉石敷きや石組が確認されています。今回の整備ではこれらの他に木杭による護岸も併用し、景観や地形に合わせて使い分けします。池の西側の護岸石垣があった場所には、その直上に低い石積みで石垣の位置を示し、絵図に描かれている切り欠きも、石積みにより表示します。
左写真 : 護岸石垣と玉石敷き(発掘)、 右図 : 石組護岸標準図
絵図に描かれる階段や園路の再現を基本としながら、地形との調和や景観にも配慮し、土系舗装や木製階段による園路を整備します。
回遊路イメージ(土系舗装)
絵図から読み取った寸法や素材等の情報の他、兼六園など他の類似事例も参考に、景観になじみ、船の通行にも支障のない意匠形状の橋を設置します。
参考事例 花見橋(兼六園)
高台には、絵図に描かれる唐傘を再現し、休憩施設として活用します。 兼六園の翠滝の傍に立つ唐傘は、玉泉院丸から移設したという記述があり、古写真や昭和期の修復写真が残っています。これらの情報を参考に整備を行います。
兼六園翠滝・中央が唐傘(明治期の絵葉書)
修復時の写真(兼六園・昭和30年代)
天保期に描かれた絵図の中に、中島一帯を中心に十数か所の景石が描かれたものがあり、石の配置や概ねの姿も確認できます。これらを基本とし、全体の景観を現地で確認しながら景石を据付けます。石材は、発掘された景石や、庭園から転用された兼六園の明治紀念之標の土台石材を参考に、同等の石材の使用に努めます。
明治紀念之標土台石組(兼六園)
石垣群の眺めや、庭園の造形そのものを堪能していただくことを重視し、比較的背の低いマツを主体とした明快かつ鑑賞性に優れる植栽とします。低木や地被類は兼六園などにも見られる在来種を中心に、四季の花を楽しめるものとし、修景上必要な植栽を行います。一方で周囲の園地では、サクラやモミジなど、四季の彩りを楽しめ、庭園と調和する樹木や花々を植栽します。
庭園の主要な水景の一つとして、池の北東側に存在した滝を整備します。斜面上の遺構を保存し嵩上げしたうえで、遺構から得られた情報を基に、新たに滝を再現します。
月見など夜間の利用を想定し、照明器具が鑑賞の支障にならない範囲で、石垣や庭園の演出照明を行います。周辺の園地では、公園としての安全性が確保できるよう必要な照明を行います。
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