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永禄7年(1564)
正覚院 羽咋市寺家町ト-92
縦 80.6センチ 横 37センチ
(伊舎那天図のみ下部11.2センチ欠損)
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
12天の立像を1躰ずつ1図に極彩色に描いたもので、もとは12幅の掛幅装であったと思われるが、現在は4図ずつ3面の額装に仕立ててあり、伊舎那天図だけが画面の下部11.2センチを欠損している。12図のうち、日天図に「藤原長谷川信春廿六歳」、月天図に「藤原長谷川信春廿六歳筆」、羅刹天図に「長谷川廿六歳筆」の落款と、それぞれに袋形朱印「信春」が認められ、火天・風天・梵天・焔摩天・水天・地天・帝釈天・毘沙門天の各図にもそれぞれ袋形「信春」朱印が一顆あて捺印されているが、伊舎那天図のみ下部欠損のため印が無い。月天図など3図にみられるように、この図は長谷川信春が26歳であった永禄7年(1564)に描かれた作品であることが知られる。図像学的に忠実を期し、しかも類型的におちいらずにまとめあげた、等伯青年期の大作に数えられる仏画であり、落款・印を伴うことから史料的にも極めて価値の高い作品といえよう。
昭和60年「石川の文化財」より
室町時代
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
(石川県七尾美術館保管 七尾市小丸山台1-1)
縦 66センチ 横 38センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
妙成寺の実質的開山である二世日乗が、左手に経巻を持ち、右手に扇子を執り、わずかに左斜めを向いて坐る説法図を、極彩色に描いている。画面に向かって右上に「令法久住」、左上に「二世日乗」、右下隅に「日敬寄進」、左下隅に「道浄子息」と墨書し、その傍らに方形「信春」朱印が捺されてあり、この日乗の肖像は、日敬が施主となって、道浄(宗清)の子息である信春が描いたことが知られる。作画期は、信春時代に愛用した袋形「信春」朱印を用いず、方形「信春」朱印が捺されており、それらの作品からみて、袋形印に先行する信春24、5歳に描かれたもののようである。ともあれ、肖像で最も重視される面貌の写実に基調をおいて、雄勁精緻な描線で日乗の個性的な表現がなされている。また、京都本法寺の日堯上人像に「父道浄六十五歳長谷川帯刀信春三十四歳」の落款があり、本図に「道浄子息」と記されていることなど、信春研究の資料としても重要である。
昭和60年「石川の文化財」より
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