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朝鮮李朝時代
総持寺祖院 輪島市門前町門前1-18甲
縦 162.0センチ 横 83.0センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
本像は、寺伝では、紀元前6世紀後半の古代インドにおいて最も有力であった麻竭陀(マカダ)国の国王頻婆娑羅(ビンビサーラ)と、その后の韋堤希(コーサラ・デーヴィ)夫人の像といわれる。頻婆娑羅は、釈迦と同時代の人であり、富国強兵策をとって隣国アンガを征服し、大国の基礎を築いたが、阿闍世(アジャータシャトル)王子に殺され、これを知った韋堤希夫人も幽閉されて悶死した。仏教の所伝によれば、頻婆娑羅王は、釈迦が王族の地位を捨て出家をする際に思いとどまるよう諫めたが、釈迦の成道後は、仏教に帰依し、竹林精舎を建て、篤く供養した人物という。また韋堤希夫人・阿闍世王も、釈迦に帰依し、仏教の熱心な保護者であったとされる。だたし、本像が、麻竭陀国王夫妻の画像であるか否かは不詳で、むしろ朝鮮の王族か貴族夫妻の肖像である可能性が強い。生彩のある顔面の描写や流暢な筆線、大胆で印象的な色彩、後方に立つ侍女の配置や全体の構成など、きわめて異色の作品で、朝鮮で李朝前期頃に制作されたものと推定される。
昭和60年「石川の文化財」より
中国元~明時代
総持寺祖院 輪島市門前町門前1-18甲
縦 156.4センチ 横 86.0センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
墨を基調として絵画を表現する水墨画は、中国唐代中期、8世紀前半頃に成立し、宋代以降、技法に濃淡法・陰影法などがあらわれ、墨には五彩があるといわれて、彩色画と並び中国絵画の中枢として飛躍的に発展した。わが国では、鎌倉時代後半に中国から水墨画の技法が輸入され、室町時代に最も盛んとなった。本図は、すさまじい勢いの浪を配した竜の図である。中国では、竜は海中に潜み、時には自由に空中を飛翔して雲を起こし、雨を呼ぶ力があるとされている。この画面も、それにふさわしく、雄勁(雄々しく力がみなぎっている)な筆力で、神怪力をもつ竜を天に向かって大きく配し、その勢いで起こった波浪を、藁筆を用いたような筆さばきで躍動的に描き、気概がこもっている。雲は、墨の濃淡を巧みに用いて霊気をあらわし、雲の一部と浪をハイライト風に白く表現したころは、幻想的な深さの中に、装飾性を織り込んだ芸術的表現である。制作年代は元代末期から明代初期と思われる。総持寺の五院の一つであった妙高庵から奉納されたと伝えられる。
昭和60年「石川の文化財」より
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