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桃山時代 長谷川信春筆
龍門寺 七尾市小島町リ-15
縦 71.0センチ 横 56.7センチ
県指定文化財 昭和53年7月13日指定
やや右斜め向きの達磨の上半身像を画面に大きく配し、法衣の輪郭は太い裂け筆で大胆に描いて、達磨の烈しい個性にふさわしい堂々とした作品である。画面右下部に、長谷川等伯の信春時代の作品にみられる、袋形朱文「信春」印が認められるが信春時代の仏画を描いた綿密な筆法とは全く異なった本格的な水墨画である。この作品から、信春時代にすでに、それまでの密なる作風を基本としながらも、表現を簡略した粗なる作風への進展があったことがわかる。頭部の輪郭や、眼・鼻・口は明確に描き、髪や髭などの毛描きを細筆を用いて克明に描いているところなどに、これまでの密なる作風が見られ、それが衣の裂け筆の粗なる筆法と良く調和している。この裂け筆による烈しい線描は、後年の等伯時代に多く用いられた描法であり、信春と等伯を結びつける様式上の根拠の1つを示している。このように満ち溢れる迫力と強烈な筆致があらわれていることから推して、信春が京都へ出た後に制作されたとみるべきであろう。
昭和60年「石川の文化財」より
室町時代 長谷川信春筆
霊泉寺 七尾市郡町2-53
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
縦 93.3センチ 横 42.5センチ
県指定文化財 昭和53年7月13日指定
各幅に、それぞれ2人ずつの羅漢が眷族とともに山中に幽居する状態を、8幅に描くもので、部分的に淡彩を用いているが、水墨様式を基調とした漢画的作品としての特色を示している。本図で最も注目したいのは、羅漢の顔貌の描写や衣紋を描く太い荒い線描が、後年に等伯が描く京都智積院の十六羅漢図や京都本法寺の大涅槃図の人物の描写に酷似していることであり、また鋭く直截な輪郭線により表現される独特な角張った樹木や岩の描法が、これまた等伯時代に見られる作風を想起せしめる特色を見せていることである。能登在住時代の信春は、彩色、水墨両方の仏画を残しているが、これらの作品を見ると、信春の画技は、後の等伯の彩色・水墨両様の作品に見られる装飾的大画面への力強いステップと見るべき筆法を見せている。各幅に「信春」袋形印が認められ、信春時代と等伯時代の作風上のつながりをたどる上に極めて貴重な作品である。
昭和60年「石川の文化財」より
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