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桃山時代
開禅寺 金沢市野町3-18-10
(石川県立歴史博物館保管 金沢市出羽町3-1)
縦 48.5センチ 横 36.4センチ
県指定文化財 昭和59年7月10日指定
加賀藩初代藩主前田利家(1537~99)の画像は、本像のほか、石川県内に、長齢寺本・桃雲寺本・蓮江寺本・妙厳寺本・妙珠寺本・尾山神社本・中山家本などがよく知られ、県外では、東京の前田育徳会本、尾張荒子の観音寺本、氷見市の光禅寺本などがあり、多くは、衣冠束帯姿で、上畳の上に座する神像形式の作である。本像も、その形式によるもので、細面で小じわがあり、八の字形の眉毛の顔など、利家の風貌をよくとらえている。利家の息女である千世姫が、藩臣村井長次に嫁いだのちに請うて賜わったものといわれ、利家の没後、礼拝像として描かれたものと考えられる。画面のいたみがやや目立つが、彩色は十分残っており、桃山肖像画の秀作の1つに数えられるものである。
昭和60年「石川の文化財」より
江戸時代前期
石川県立歴史博物館 金沢市出羽町3-1
掛幅 縦161.0センチ 横51.0センチ
本紙 縦70.0センチ 横37.5センチ
県指定文化財 昭和61年3月22日指定
小塚内匠助は、加賀藩主前田利家の尾張時代に召出された、いわゆる尾張荒子衆で、2代利長に仕え、3代利常時代に金沢城代となり九千石を禄した小塚淡路守秀正の嫡男である。父の存世中に召出され五百石を受け慶長19年(1614)大阪の役に従い傷を受け、翌元和元年(1615)5月26日夏の役の帰陣の途中歿している。画面は上部を二分して色紙型に区切り、右側に紅葉と鹿の下絵の上に日蓮宗の題目を、左側に「伝王大心居士「五月二十六日」」と記されている。像は白の裃に菊桐井桁を白で染めぬいた黒の小袖を着用し、背後に太刀を立てかけて上畳に座する武将肖像である。絵の描線などから推して江戸前期頃描かれたものと推定されるが、桃山期肖像画の特徴を残しており、又保存状態が極めて良好で、加賀藩初期の大身の武将の面影を彷彿とさせる貴重な資料である。裏書きに、もと能州法華谷(現七尾市小島)実相寺に伝えると記されている。
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