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江戸時代前期
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
縦 155.5センチ 横 359.4センチ
県指定文化財 昭和59年7月10日指定
守景は、狩野探幽の門下で最も異彩を放った画家であるが、伝記は不明なところが多く、活動期間も、寛永年間(1624~44)から元禄年間(1688~1704)に至る長期間にであると考えられている。また、前田家に招かれて、一時は、金沢に滞在したことが知られている。守景は、四季耕作図を好んで制作したようで、現在数例に及ぶ作品が知られ、それらは中国風俗によるものと、日本風俗に取材したものとに大別される。そもそも耕作図は、中国から伝わった画題で、機織図などとともに鑑戒的性格を有し、わが国では、室町時代以来かなり制作された。この作品は、中国風俗によるもので、向かって左隻より右隻にかけ、春夏秋冬の四季折々の農民の作業が、遠山を背景にして広々とした景観の中で展開されている。耕作図という伝統的画題に、人間味あふれる鋭い視線を注ぎ、新鮮な感情を盛り込むことに成功した名作である。各隻両端に「守景筆」と款し、「久隅」朱文長方印を捺している。
昭和60年「石川の文化財」より
桃山時代 16世紀
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
縦26.5センチ 横51.5センチ
県指定文化財 昭和59年7月10日指定
京都八坂神社の祭礼の祇園祭を、1巻の絵巻に描いたもので、この作品は母衣武者の場面である。両側に京の町家が建ち並び、家の中から婦女子が様々の姿で、大きい袋を背負った母衣武者の行列を眺めており、人物を描いた筆法からみて、室町末期か桃山初期に描かれた初期風俗画の趣があり、極めて貴重な作品である。現在は1場面ずつに切断されており、そのうちの2幅に千利休の孫の宗旦(1578~1658)の添書「信長公拝領/利休居士遺具」が付され、これはその1点である。内箱蓋裏に
「信長公ヨリ拝領伝来元伯奥書在印/母衣武者之図 長谷川久蔵筆/一文字東福門院御物貝桶□□丹地安楽庵裂也 象牙軸/中風帯胴甫 豊太閤御胴服朝鮮糸綿桐の地紋有之/上下時代紋絹/表荘好焉/今村松生主依懇望譲與之/今日庵宗室(花押)」
と裏千家11世玄々斎(1810~77)の書付がある。箱書から、筆者は長谷川等伯の子、久蔵(1568~93)とされるが、この作を所持していたとされる織田信長(1534~82)の最晩年には、久蔵はまだ10代なかばであり、本図を描くのは、いささか無理であろう。桃山時代の初期風俗画の名品である。
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