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室町時代末期
石川県七尾美術館 七尾市小丸山台1-1
縦35.5センチ 横16.3センチ
県指定文化財 平成17年3月25日指定
「善如龍王」は「善女龍王」とも書き、天長元年(824)、淳和天皇の勅命により、真言宗の開祖である空海が、神泉苑において請雨修法した折に応現したと伝えられる仏である。元々は、インドの無熱達池に住む八寸(24センチ)の金色蛇で、九尺(270センチ)の蛇の頂きに住むと言われる。本図は、頭頂部に蛇を金色の龍に置き換えて描き、右手に三鈷杵の剣を持し、左手には如意宝珠を戴いた女形の童子像として描かれている。本図に描かれている宝冠は、信春(等伯)が能登時代に描いた「弁財天十五童子画像」(穴水町指定文化財)とほぼ同じ形状であることから、恐らく能登時代の28歳から30歳頃の制作と考えられる。
また、右下部には「信春」朱文袋形印が捺されている。信春は、熱心な法華信者で、法華宗関連の仏画を多く手掛けているが、この作品から、信春が宗派にこだわらず幅広く仕事をこなしていたことがわかる。本図は、信春時代の特徴である優美な色彩を見ることができ、小品ながらも存在感があり、能登時代に多くの仏画を手掛けた信春の技量を示す貴重な作品である。
江戸時代(17世紀)
尾﨑神社 金沢市丸の内5-5
縦46.7センチ 横30.2センチ
県指定文化財 平成17年3月25日指定
平安時代中期に、藤原公任(966~1041)が「万葉集」・「古今集」・「後撰和歌集」の中から36人の歌人を選んだのが、三十六歌仙のはじまりとされ、鎌倉時代に、歌仙尊重の風潮と似せ絵の流行によって、「三十六歌仙絵」が生まれたとみられる。三十六歌仙絵は、時に、天下人を祭神とする社・宮の荘厳具ともなり、江戸時代には、各諸大名が東照大権現を建造し、その社殿の創建にあたり、日光東照宮に倣い、三十六歌仙絵馬を奉掲した例が少なくない。この板額三十六面も、寛永20年(1643)加賀藩4代藩主前田光高が、金沢城北の丸に東照権現(現在の尾﨑神社)を建立し、その後拝殿に掲げられていたものである。筆者については不明であるが、檜の板地に胡粉で下地を作り、大和絵的な技法で描かれた人物や背景の草花に、丹念に彩色や金泥が施してある。特に各歌仙の面貌の描写が優れている。図上の和歌の筆者も不明であるが、練達した優雅な書風で更に画面を引き立てており、歌仙や背景の図と見事に調和しており、重要文化財の指定を受けた建造物(尾崎神社)にふさわしい額である。
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