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室町時代 宝徳元年(1449)頃
専稱寺 加賀市大聖寺鉄砲町33番地
石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1
各縦141.0センチ 各横84.4センチ
県指定文化財 平成11年11月26日指定
親鸞聖人(1173~1262)の伝記は、本願寺第3代覚如上人により、永仁3年(1295)10月に巻子本がつくられ、法眼浄賀に絵を描かせたのが最初である。その後、覚如は再三内容に校訂を加え、康永2年(1343)には、4巻本の「本願寺聖人伝絵」(東本願寺蔵)が制作された。やがて教化の手段としてより効果をあげるため、絵巻物形式から掛軸形式に変化し、その際、絵巻の詞と絵とが分離し、冊子形式の「御伝鈔」と掛軸形式の「御絵伝」が制作されるようになった。専稱寺の「親鸞聖人絵伝」は、康永本系の絵伝4幅で、第1幅目は、「出家学道」「吉水入室」「六角堂夢想」「蓮位夢想」、第2幅目は、「選択集付属」「信行両座」「信心淨論」「入西鑑察」、第3幅目は、「師資(法然親鸞)遷謫」「稲田興法」「弁円済度」、第4幅目は、「箱根権現霊告」「熊野権現霊告」「洛陽遷化」「廟堂造立」の、全15段20図29場面が描かれている。建物の構図や人物の表現、樹木や草花、山や岩・流水の描法など、土佐派の優れた画人の手になる流麗な筆致を見せるとともに、室内の調度の形式、襖や杉戸などに描かれた画中画等も特筆される。なお、絵伝を納めた箱には「御繪伝 四幅 土佐光信画」「川嵜専稱寺」と筆者の伝承が書かれている。
また、この絵伝は、本願寺7代存如上人御筆裏書から、宝徳元年(1449)11月28日、存如より、専稱寺の真光に下附されたことがわかる。一般に4幅絵伝は、真宗教団の発展にあわせ、蓮如上人の活躍以後、多く下附されるようになるが、この絵伝は、蓮如以前の貴重な資料といえる。専稱寺の「親鸞聖人絵伝」は、土佐派の絵画を知る上で、美術史上貴重な作品であるとともに、蓮如以前の北陸の真宗教団史を知る上での貴重な歴史資料でもある。
桃山時代初期
石川県七尾美術館 石川県七尾市小丸山台1-1
縦84.1センチ横23.1センチ
県指定文化財 平成17年3月25日指定
本図は、樹下で睡眠をとる仙人を描いた水墨画である。描かれた人物は中国5代・宋時代初期の隠士陳摶と解される。陳摶は、武当山に隠遁し占術を修め、後に太宗より陳希夷の号を賜ったが、隠遁時代、眠るたびに1年、あるいは3年も眠り続けたと伝えられる人物で、樹下において脇息にもたれ掛かって眠る様子が、どことなくユーモラスで親しみのある作品である。特筆すべきは、左下部に捺された、「長谷川」朱文長方形印と「信春」朱 文鼎形印の2印である。後者の印が捺された作品は、現在、全国で数例しか確認されておらず、信春が上洛して等伯の名称を用いるまでの30歳代後半頃から40歳代にかけての時期に制作された、数少ない作品にのみ使われたものとして、史料的にも極めて価値の高い作品である。信春は晩年、自ら雪舟5代を名乗り、「等伯画説」にも信春が雪舟、等春の流れを汲むということが記されており、本図に見られる筆の流れ、墨の溜まりは、実際に雪舟の影響が看取される作品として貴重である。また、画面全体を見ても、打ち込みの目立った独特の筆法には、狩野派の影響が感じられ、この頃の信春が一時期狩野派にも学んだ可能性が極めて高くなったことをはじめ、今まで最も不透明とされている、等伯40歳代の動向を知る上でも、極めて貴重な作品と言える。
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