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江戸時代後期
個人 金沢市
縦 104.3センチ 横 41.0センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
尾形乾山(1663~1743)は、江戸時代の琳派の画家として有名な光琳の弟である。兄弟は、禁裏御用の呉服商雁金屋という裕福な環境に生まれ、光悦・宗達の芸術に深く影響をうけた。乾山は早くから学を修め、書を習い、禅や茶に親しみ、漢詩と古典に対する教養が深かった。兄光琳からも多く学んでいるが、兄の華やかさと対照的に、地味で隠逸的であった。権平という名を深省と改め、陶芸に関心を持ち、御室焼の名工野々村仁清の影響を受けて、仁清風な静閑な作風や、陶器の形に応じてしゃれた心憎いばかりのデザインを施した器を製作している。この作品は、紙の白い空間を充分に取って菊と薄の線をのびのびと描いている。菊の花弁は、胡粉で少し盛り上げる工芸的な技法で大まかに表現し、葉は、没骨法を用いてたらし込みの美しさを出し、その上に緑青をかけて装飾的効果を高めている。漢画の筆法を和風化し、自由な画境に達し、淡々とした筆致で描かれた乾山晩年の作品である。
昭和60年「石川の文化財」より
江戸時代
個人 金沢市
縦 155.0センチ 左右 365.4センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
この作品は、中国の高士で詩人の陶淵明と林和靖(林逋)を題材としたものである。右隻は、中国六朝の大詩人の陶淵明(365~427)が、長官を退き、郷里に帰り、自ら鋤を取り、5株の柳を植えて「五柳先生」と称し、酒を好み菊を愛して桃源郷に遊ぶ、その悠々自適の境地を描き、左隻は弧山の高士林和靖(967~1028)が、世を離れ、詩作に興じ、梅を愛して妻とし、鶴を育てて子として過ごす、自適の境地を描いている。1双の屏風に2つの画題を濃彩で描き、ゆったりとした余白に金箔を雲形に置き、さらにその周りに隠棲した別世界をあらわすように金砂子を蒔いて、気品ある画面を構成している。筆者の狩野常信(1636~1713)は、尚信の子で、父の没後、伯父の探幽(1620~1674)の薫陶を受け、剃髪して養朴と号し、宝永6年(1709)に法印に叙せられた。狩野派のあらゆる流技を結集して、新たな展開をみせている。この作品は常信の代表作の1つといわれ、九条家伝来品と伝える。
昭和60年「石川の文化財」より
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