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永禄11年(1568)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
(石川県七尾美術館保管 七尾市小丸山台1-1)
縦 156センチ 横 111.5センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
跋捉河の畔、満月の夜、沙羅双樹の下において頭を北にして西に面し、右手を手枕にして横臥する釈迦の周囲に、弟子達はもとより、諸王・大臣・梵天・鳥獣までがなげき悲しむ景相を、大きな画面一ぱいに極彩色に描いた釈尊涅槃図である。図の右端下方に、小判形「長谷川」朱印と袋形「信春」朱印、その下に「丗才」の朱書があり、左下隅に長方形「宗清」朱印が捺されており、永禄11年(1568)信春30歳で、父宗清(道浄)61歳の時の作品であることが知られる。等伯の青年期、すなわち信春時代に描いたほとんどは仏画か肖像画であったことは、その遺品によって知られるが、この涅槃図にみる鳥獣の描写によって、動物画も能くしたことを徴する資料としても注目さるべき作品といえよう。
昭和60年「石川の文化財」より
室町時代
鶴林寺 金沢市東兼六町5-18
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
縦 88.4センチ 横 39.4センチ
県指定文化財 昭和44年2月18日指定
祖継大智は、肥後国(現在の熊本県)宇土郡長崎村の人で、正応3年(1290)に生まれた。はじめ肥後の大慈寺に入って寒巌義尹に学んだが、次いで加賀へ来て大乗寺の瑩山紹瑾に謁する。正和3年(1314)、25歳で元に渡り、禅を修めて、正中元年(1324)に加賀の宮腰津(現在の金沢市金石地区)に帰国した。翌年、瑩山を永光寺にたずね、命によって加賀大乗寺三世明峰素哲に就く。次いで加賀の手取谷の吉野に祇陀寺を開き、のち肥後に帰り、聖護寺を創始し、正平21年(1366)77歳で没した禅僧である。被をかけた曲ろく(禅僧が法会の時に座る椅子)に座した、いわゆる頂相様式で、寺伝では、像の上部に自賛が記されていたとされているが、現在は失われている。面貌は、温和な表情であるが、その中に気概がこめられ、被や法衣のゆったりとした線描は、禅師のおおらかな心と品格をあらわしている。宋元画風に描かれた室町時代中期の作であろう。禅師の頂相は、本像1幅のみが現存するといわれ、極めて貴重な作品である。
昭和60年「石川の文化財」より
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