ホーム > 金沢城二の丸御殿の復元整備
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石川県では、本県の歴史文化の象徴ともいえる金沢城公園において、平成13年完成の菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓をはじめとし、河北門、橋爪門二の門、令和2年の鼠多門・鼠多門橋の完成まで、本物志向の姿勢で復元整備の取り組みを進めてきました。
平成30年から復元に向け検討を重ねてきた二の丸御殿は、城の中心的な建造物であり、これまでの金沢城復元の総仕上げとも言えるものです。御殿の復元は、金沢城の価値や魅力の向上はもとより、次世代への技術の継承、令和6年能登半島地震で被災した職人の生業再建への寄与など、多面的な意義を有します。
復元整備は、儀礼や政務の場であった「表向(おもてむき)」のうち飾金具や障壁画など御殿ならではの装飾が見られる主要部を対象とし、令和6年度から玄関や式台周辺を対象とする第1期復元整備工事に着手しています。
【表向主要部の復元イメージ】
金沢城二の丸御殿は、藩主の住まいや政務の場として藩政の中心となった城内最大の建造物でした。全体で約3,200坪、60を超える部屋から構成され、儀礼や政務の場である「表向(おもてむき)」、藩主の日常の生活空間である「御居間廻り(おいままわり)」、女性たちが居住する「奥向(おくむき)」の大きく3つに区分でき、飾金具や障壁画に彩られた、加賀百万石の栄華の象徴ともいえる建物でした。江戸前期の創建以来、二度の火災による焼失と再建を経て明治14年(1881)まで存在しました。
※この映像のフルバージョン(約10分間)は金沢城公園鶴の丸休憩館でご覧いただけます。
平成30年(2018)から令和2年(2020)にかけて、学識者で構成された委員会を設置し、絵図や文献、古写真等の史料をもとに復元の可能性について調査検討を行いました。令和2年2月には、委員長より調査検討結果の報告をいただきました。
金沢城二の丸御殿調査検討委員会・委員名簿(PDF:225KB)
調査検討結果の概要(第5回委員会資料抜粋)(PDF:5,401KB)
【委員長報告の要旨】
「表向」の復元整備を進めることは可能。「御居間廻り」、「奥向」は引き続き調査検討が必要。金沢市立玉川図書館で新たに確認された内装等に関わる史料は、内部の復元に大きく寄与する。史料等の更なる収集や障壁画の調査等が課題として残っている。
これまでの調査検討を踏まえ、令和3年(2021)3月に、復元整備の取り組みを進めるにあたっての基本的な方針を示し、調査・整備の進め方などについて取りまとめた基本方針を策定しました。
金沢城二の丸御殿の復元整備に向けた基本方針(概要)(PDF:798KB)
金沢城二の丸御殿の復元整備に向けた基本方針(PDF:3,409KB)
令和3年度(2021)から、学識者で構成された委員会を設置し、二の丸御殿の復元整備に係る設計について検討を行いました。
金沢城二の丸御殿復元整備専門委員会・委員名簿(PDF:132KB)
令和6年度(2024)には関係機関との協議を整え、復元整備工事に着手しました。復元整備は工事現場を覆う素屋根の建設、柱や梁を組み上げる建築躯体工事、屋根や内外装の仕上げ工事と、順を追って進めていくこととしています。令和7年(2025)3月に起工式を執り行い、本格的に工事を進めています。
(素屋根概要)鉄骨造平屋建て、建築面積2,028m2、高さ26.7m
(御殿復元整備概要)木造平屋建て、建築面積1,012.36m2、延床面積784.55m2
金沢城二の丸御殿の復元整備(パンフレット)(PDF:1,111KB)
玄関は総ケヤキ造りで、外装には前田家の家紋「梅鉢紋」が取り付けられていました。梁の上には、防火の願いを込め、水に棲むサイを題材とした「波に犀」の彫刻が設置されていました。
表式台は63畳の畳敷きの空間で、客人を迎えるための儀礼が行われました。壁や襖には金箔が張られ、永遠に続く繁栄を象徴する、青々とした葉を茂らせる若松を題材とした障壁画が描かれました。
虎の間は竹の間(大広間)で儀礼が行われる際の待合の空間で、加賀藩出身の絵師、岸駒による虎の障壁画が描かれていました。御殿の障壁画に虎を描くのは、主人が猛獣を従えるほどの強大な権力を持つことを示すためと言われています。
実検の間は、儀礼が行われる際に警護の藩士が控えた他、様々な用途に使用されました。復元整備にあたっては、講座や文化イベントなどに活用できる空間として整備します。
金沢城二の丸御殿は、史実を尊重した伝統的な木造による整備を前提に、バリアフリー対応や耐震性の確保、冷暖房の整備など、全ての方が安全かつ快適に利用できる整備に努めます。
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