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古墳時代末期
七尾市下町戌部21-2
指定面積 689平方メートル
県指定史跡 昭和47年3月21日指定
JR七尾線徳田駅の南東約130m、邑知地溝帯の東麓に近く築かれた代表的な横穴式石室墳。墳丘は長辺23m、短辺21.8m、高さ3.7mの二段築成の方墳で、墳丘には入念な版築工法がみられる。墳裾に沿って幅約6.0m、深さ約1.8mの周濠がめぐる。
横穴式石室は径1mを超える大型石材をもって構築するが、天井石を完存する石室としては県内でも数少ない事例である。石室規模は玄室長4.62m、同幅2.5~2m、羨道長7.22m、同幅平均約2mを測り、その様式は蘇我馬子の墳墓とされる石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村)に近似し、その縮小版ともいえる。6世紀後葉ごろから、天皇陵墓などでも前方後円墳に替わって方墳が採用されることが多い。7世紀後半ごろに築かれた勅使塚古墳は、能登国造能登臣氏一族の墳墓であった可能性は濃い。
昭和60年「石川県の文化財」より
縄文時代中期
鳳珠郡能登町字崎山4-117
指定面積 1,938平方メートル
県指定史跡 昭和48年10月5日指定
能登町宇出津港の西岸にせまる海岸段丘が「崎山」である。遺跡は昭和27年(1952)に行われた九学会連合能登調査先史班の試掘調査により、縄文中期後葉の「宇出津式土器」の標式遺跡となっている。
能登町は、崎山で宅地造成の区画整理事業を実施したが、事業に先だち昭和46年(1971)に遺跡の発掘調査を行い、住居中央に石組みの複式炉を設けた宇出津式期の円形の竪穴住居跡と、粘土床炉を設けた後期前葉の気屋式期の方形竪穴式住居跡各一棟を検出し、これを緑地公園として地下に保存した。県内最初の史跡公園としての意義は大きい。
宇出津式土器は、波状につくった口縁と頸部にめぐらした隆帯上に、貝殻腹縁文または縄文を施すことを特徴とし、能登半島を中心に西は金沢、東は富山市呉羽丘陵附近までの範囲にひろがっている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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