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小松市安宅町
県指定史跡 昭和14年3月18日指定
小松市安宅町は梯川河口の港町であり、南岸に安宅住吉神社が鎮座する。安宅の関跡と伝えられているのは、この神社となりの社地である松林をなす砂丘である。
安宅の関は、室町期の謡曲「安宅」や江戸時代後期の歌舞伎「勧進帳」の舞台として語られ、文治3年(1187)、兄源頼朝の目をのがれて、山伏に姿をかえた義経と弁慶の一行が、ここで関守富樫左衛門尉に見とがめられたという物語は、広く知られている。
社地には、この物語の風景を
松あほき 安宅の砂丘 その中に
清きは 文治3年の関
と詠んだ与謝野晶子の歌碑と義経・弁慶・富樫の銅像が建てられている。
一つの伝承が事実であるかのように受け取られていく道すじと、その背景には、梯川によって内陸と日本海を結び、海岸沿いに走る木曽街道が通ることで、海陸交通の要地であった安宅の歴史があることが考えられて興味深い。
昭和60年「石川県の文化財」より(一部改訂)
江戸時代
能美市吉光町イ124
指定面積 約30平方メートル
県指定史跡 昭和14年3月18日指定
県内に残存する唯一の一里塚。旧北国街道の、吉光と粟生の境に作られている。当初は道の両側に塚があったが、明治14年(1881)の手取川の大洪水で北側の塚が流失して、現在は1基だけが残っている。
塚の大きさは、直径約6m、短径約4.5m、高さ約1.5mを測り、塚上には榎が植えられている。近世の交通史を語る貴重な遺構である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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