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朝鮮李朝初期
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
口径14.5センチ 高台径5.2センチ 高さ7.4センチ
県指定文化財 昭和35年5月27日指定
朝鮮産の抹茶碗である大井戸茶碗の一種で、釉薬がやや青味をおびているので、その名がおこったといわれる。形は、大井戸や小井戸とほとんど変わらないが、しいていえば、高台際から直線的に外に広がって、浅くやや平たいのが特色ということができる。従って、それに応じて高台も比較的低く、高台際の削りも浅くなっている。しかし、佗びた趣は、青井戸の方が勝っているといえよう。この作品は、青井戸中の第1と称され、古来「宝樹庵を見ずして青井戸を語ることなかれ」といわれた名碗で、金沢の素封家松岡家に伝来したものである。胴体はロクロ目が法螺貝のようにギリギリと回り、竹の節高台で中央は巴状となっており、内部に重ね焼きの目が5つ見える。茶溜りは渦状をなしてやや窪んだ状態となっている。釉薬も、自然に青味をおびた部分と枇杷色をみせる部分が程よく片身替りとなって、実に美しい景色となっている。作行きは精妙雅味があり、親しみのもてる作品である。
昭和60年「石川の文化財」より
江戸時代前期
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
左右39センチ 高さ18センチ
指定文化財 昭和35年5月27日指定
大樋焼は、寛文6年(1666)に、加賀藩5代藩主前田綱紀が、京都の茶人千宗室(仙叟)を茶道師範として招いた時、茶碗師として同道した土師長左衛門が、金沢の北郊河北郡大樋村(現在金沢市大樋町)に製陶をはじめたのがはじまりである。大樋焼の名は、その地名からとって名付けられ、また姓の土師も、この時以来、大樋と改めたといわれている。この作品は、初代大樋長左衛門の代表作として早くから知られ、金沢の素封家山川家に伝世したものである。色調は初期の大樋焼にみられるかせた黒釉で、夜がしらじらと明けた頃、朝日に向かって「かあ」と鳴いた烏の瞬間のポーズを巧みにとらえている。わずかに開いた口の中にみられる舌の動きや目の表情、胴から羽根・尾先にいたる単純化された表現、また書院香炉の用途としての背部と足部に分割された美しい曲線など、素朴さのなかにも、現代にも通ずる新鮮な造形感覚にあふれている。銘が「明け烏」と名付けられている。
昭和60年「石川の文化財」より
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