その他の事業(7年度)
(1)金沢城公園整備に伴う二ノ丸御殿確認調査
事業概要
近世前期以降、金沢城の中枢部で、明治14年(1881)に焼失するまで存在していた二ノ丸御殿について、遺構の位置や内容等を確認し、復元整備の根拠となる情報を取得するとともに、御殿の構造・変遷についての知見を得るために令和2年度から発掘調査を実施してきた。
事業内容
本年度は、調査の成果として金沢城史料叢書50「金沢城跡―二ノ丸御殿Ⅰ―」を刊行した(A4判 322頁)。
本報告書は第1分冊にあたり、令和2~6年度に実施した発掘調査のうち、主に第1期復元整備範囲を対象とし、文化期に再建された後期御殿の遺構について報告した。なお、出土遺物については、令和8年度に報告予定である。
(2)石垣の復旧に伴う調査
事業概要
令和6年能登半島地震により金沢城と兼六園では、石垣の崩落または変形が30箇所で生じている。これらの被災した石垣を確実に復旧するため、被災状況の実態を詳細に把握し、今後の保存管理や保全対策に資するために調査を実施した。また、解体調査では石垣の構築技術に関する情報や、石垣の来歴に関する痕跡等についても確認・記録を行った。
事業内容
金沢城及び兼六園で被災した石垣8箇所(金沢城6箇所、兼六園2箇所)のうち、2箇所で崩落石材の回収に伴う調査を、5箇所で解体調査を、1箇所で解体調査に先行して上面遺構調査を実施した。

1.石川門前土橋石垣(北面)
概要
三ノ丸の東、城内と兼六園を繋ぐ土橋北面(白鳥堀側)の石垣である。寛永期に創建されたと考えるが、幕末から明治時代にかけて、一部を河原石積みの石垣へ改修したことを想定している。被災箇所は、この改修された石垣であり、長さ8m、高さ3mを測る。
令和6年度は崩落した石材の回収・原位置同定を行い、令和7年度は、上面遺構調査および崩落箇所周辺の変形部分について解体調査を実施した。
調査期間:令和7年7月14日~11月14日 調査面積:70平方メートル
内容
・上面遺構調査は、長さ約13m、幅約4mの範囲を対象に実施した。上面遺構として、ピット4基を検出した。規則的な配置は認められず、性格や用途は不明である。
・石垣の解体石材は14段128石である。解体した築石は幅30~40cm、控え長50~60cm程度であり、長楕円形の河原石や戸室石の自然石を使用していた(下図参照)。この石垣をⅢ 期石垣と呼称し、大型の刻印をもつ創建期(寛永期)の石垣をⅠ 期石垣と呼称することとする。Ⅲ 期栗石の背後には、さらにⅡ 期栗石が確認できたことから、Ⅰ からⅢ 期の履歴をもつことが明らかとなった。
・調査成果と文献の記録を照合すると、Ⅱ 期やⅢ 期の改修の時期は、寛政11年(1799)や安政2年(1855)、同5年(1858)の地震による被害に伴う修理であることが想定される。

2.玉泉院丸南石垣
概要
玉泉院丸南側のいもり堀に面した石垣南面にあたる。堀は明治40年頃に埋め立てられ、現在は園地や道路となっている。
石垣は、元和期に創建されたとみられるが、昭和40年代に石垣背後の郭に建設された県立体育館への進入路線形に合わせ、改築が行われている。
令和6年度は崩落した石材の回収・原位置同定を行い、令和7年度は、上面遺構調査および解体調査を実施した。
調査期間:令和7年11月1日~12月12日 調査面積:90平方メートル
内容
・今年度の上面遺構調査は、石垣に沿って長さ8m、幅約4.8mの範囲を対象に実施し、石垣解体予定数115石のうち50石を解体した。
・解体範囲の石垣は、昭和40年に改築された後、その一部が再び改築されている。短期間に改築が繰り返されたが、使用する築石材や裏込めの施工方法などが大きく異なっている。短期間で改築が行われた明確な理由は不明だが、県立体育館の建設や石垣前面の園地整理など、周辺の環境整備の進捗と関連するとみられる。
3.本丸北石垣(煉瓦造隧道)
概要
本丸の北に位置し、鶴ノ丸に面した本丸北面の石垣であり、金沢城石垣編年4期(寛永期)に構築された。石垣中央部は、大正12年(1923)に旧陸軍が郭内部に火薬庫を設置し、その通路として断割りし、煉瓦造りの隧道を構築している。今回の被災箇所(高さ4m、長さ6m)は、その隧道構築時に改変を受けた箇所であり、以前より変形の進行が確認され、要注意箇所として観測を継続していた。令和6年度は、崩落した石材の回収・原位置同定を行い、令和7年度は、崩落個所周辺で、地震に伴い変形した部分の解体調査を実施した。
調査期間:令和7年11月7日~12月12日 調査面積:38平方メートル
内容
・今年度は解体予定数53石のうち34石の解体を行った。
・崩落箇所は、石材の長軸を交互に斜めに落とす積み方で、石材の正面形状は長方形で長辺が30cm前後、控え長さも50cm未満で石尻がすぼまる、いわゆる間知石と呼ばれる石材形状である。隣接する寛永構築箇所に比べて、半分以下のサイズである。
・裏込めは、拳大から人頭大の栗石と多量の土砂が混じっており、釉薬瓦や煉瓦が混入する。
4.玉泉院丸南西石垣
概要
石垣は鼠多門の南、玉泉院丸の南西隅に位置する。鼠多門続土蔵南石垣と玉泉院丸南石垣に挟まれ、いもり堀の分岐地点に面して張り出したように構築され、前面は堀に沿ってくの字に折れ曲がる。最大高6.4m、石垣斜面には自然石石垣が構築されている。斜面上に位置し目地の開口等が著しいことから金沢城公園内の最も不安定な石垣として位置づけられていたもので、変位の進行が観測され、修築が必要と判断されて平成17~20年に修築工事が実施された。
地震により生じた石垣の変形は、築石の隙間や孕み出し、前倒れによる背面地盤の築石側への落ち込み、背面地面の亀裂等多岐にわたったため、令和6年度は変形箇所上半部の先行解体に伴う調査を実施した。令和7年度は、変形箇所下半部の解体調査に合わせ根石付近の状況確認のため石垣前面のトレンチ調査を実施した。
調査期間:令和7年7月28日~10月17日 調査面積:170平方メートル
内容
・今年度の解体石材数は151石である。令和6年度の372石と合わせて523石となる。
・地震による変状がみられ積みなおしが必要なB~E面石垣について前面をトレンチ調査し、根石付近の状況を確認した。
・根石付近は大きく前倒れするといったような症状は確認できず、変形は主に地上部で現れることがわかった。
5.栄螺山石垣
概要
兼六園のほぼ中央、霞ヶ池の西岸に位置する。天保8年(1837)13代藩主斉泰によって築かれた。以後、石塔の建立、山頂庭園化のための石垣追加、嵩上げ拡張が行われた。現在の姿は安政3年(1856)に描かれた絵図によく似ている。
平成20~23年に石垣、山頂部の唐傘、石塔等の構造物及び園地、園路の解体修理が行われた。
令和6年度に地震による崩落石材の撤去を行い、令和7年度は、崩落箇所周辺の変形部分の解体を実施した。
調査期間:令和7年10月30日~12月11日 調査面積:100平方メートル
内容
・地震による変状がみられ積み直しが必要な部分のうち、D・E・G・H面石垣、栄螺山頂上の唐傘基礎を含む上面の景石について、前回の解体範囲まで撤去した。
・今年度は解体予定数279石のうち114石の解体を実施した。その他に頂部にある景石や石段など38石の撤去を行った。
6.本丸南石垣(近代階段)
概要
本丸南側の切土崖に設置された階段部分にあたる。
慶長期に創建された高石垣であったが、明治40年に旧陸軍の基盤面削平によって約80mに亘り崩壊したため、高石垣上部を撤去して積み直され、階段が付加された。
今回の地震では、階段上部を支える石垣が高さ8.8m、長さ9.6mに亘り崩落した。崩落した箇所は、被災前から顕著な孕み出しがみられていた。令和7年度は崩落石材の回収を完了し、石垣の解体作業を進めた。
調査期間:令和7年7月24日~11月28日 調査面積:163.6平方メートル
内容
・崩落石材:393石となっており、原位置の同定作業を進めている。
・崩落状況:今年度回収した石材のうち石垣直下に落下していたものは、石積み最下段にあたる。
・石材:江戸期の石垣材を再加工して積まれている。角石は、大面の形状は長方形のままだが石尻付近を斜めにカットしている。築石も石尻部分が割られたものが多く、控え長が短く揃えられている。
・石積み:築石の接点は石面周辺で、胴部から石尻には介石として栗石が詰められている。
・裏込め:栗石層と、土砂や栗石に加えて高石垣の旧材とみられる大型の石材や河原石等が入る層が、互層状に堆積することを確認した。
7.辰巳用水石垣
概要
兼六園霞ヶ池の北側斜面に設置された、導水石管を埋設した石塁および大枡とその基礎石垣である。城内へ辰巳用水を引き入れるために設置されたもので、現状の位置は文久2年(1862)の改修に対応しており、文久3年(1863)頃の絵図に大枡と大枡へと繋がる水道の基礎石垣が描かれている。今回の地震により石塁の東面が高さ2.5m、長さ9mに亘り崩落し、崩落を免れた西面にも変形が発生した。
令和7年度は崩落石材の回収および回収石材の原位置同定作業を実施した。
調査期間:令和7年11月26日~12月11日 調査面積:160平方メートル
内容
・崩落石材は辰巳用水の石管15本を含む172石と推測しており、今年度は崩落している最上層の81石について回収と原位置同定の作業を行った。
・石垣前面の地盤は南から北に向かって傾斜しており、石垣の高さもそれに対応し、南が低く北は段数も増え高くなる。
・築石材は河原石を使用し、長楕円形の小口面を割って面としている。小ぶりで控えも短い。
・崩落状況は、石垣の南側は石垣直下に転落しており、上段の築石が主となる。北側では、石材が石垣から離れて広がっており、中段の築石が主となる。
・石管は、北側は築石の上に乗るように転落しており、南側は石垣の崩落壁に留まっている。
8.御居間先下石垣上面遺構調査
概要
御居間先下石垣は二ノ丸の南西部、玉泉院丸庭園に面する石垣群に位置し、高さ6m、長さ17mを測る切石積石垣である。安政2年と5年の地震によると考えられる変形が以前から確認されており、要注意箇所としてきた。今回の地震で変形がさらに増大し、天端石が累計で85cm迫り出した。また、上面の沈下が天端石背後で最大43cmを測り、壁面から3mの位置に、幅15cm、深さ53cm以上の亀裂が発生した。
調査期間:令和7年5月21日~12月12日 調査面積:140平方メートル
内容
・石垣解体調査に先行して、上面遺構調査を実施した結果、石垣天端から約30cm下で、近世後期の地盤を確認した(石垣から背後約3mの範囲)。これは、地震により沈下したと考えられる。
・太鼓塀控柱の抜取り痕跡、「熨斗立」の基礎と考えられる延石3石を検出した。
・居間先土蔵下石垣の南東面石垣(2603S)の延長上に、近世整地土に埋まった石垣を検出した。過年度調査で確認した石垣(2601W)と同様に、現状の石垣構成以前の姿である可能性が高い。
・近代(旧陸軍)の講堂及び食堂の建物基礎、煉瓦枡を検出した。
(3)石垣現況測量
事業概要
石垣現況測量は、蓮池堀縁(車橋門)石垣(1901E)と、三ノ丸東石垣(3020E)、色紙短冊積石垣(2640S)を対象に三次元レーザー計測を実施。地震前後の動態を把握し、今後の保全計画をたてるため、差分比較を行う予定としている。


<-令和6年度の成果