城内埋蔵文化財の調査(17年度)
本丸附段及び本丸の7地点で調査を実施した。本丸西側で初期の堀と石垣を確認するとともに、本丸内部では三階櫓台石垣を検出し、石垣の特徴や櫓台周辺の地形について新知見を得るなど、本丸周辺と内部の構造を追求していく上での重要な手がかりを得た。
調査期間 平成17年5月16日~9月15日
- 鉄門付近で、本丸と本丸附段を区画する、初期の堀を確認した。堀は幅20mを測る。全長や深さは未確認であるが、本丸西面石垣に沿って南北方向に伸びると推測される。また本丸西面石垣の下部では、この堀に伴う、文禄期(1592~1596、金沢城石垣編年 1期)以前に遡る石垣を確認した。
- 堀は文禄期には存在したと推定され、廃絶の時期は、埋土等から出土した遺物の年代観から、元和期(1615~1624)と考えられる。文献記録に見える、元和7年(1621)の本丸周辺の造成(西北への拡張)に関連する可能性がある。(下記本丸附段第1~2地点)
- 本丸内部で三階櫓台石垣南面部分(6段分、高さ1.8m以上)を検出した。石垣は、築石の間に楔形や三角形の板石をはめ込む技法で築かれており、17世紀後半(金沢城石垣編年5期)に改修されたと考えられる。また、石垣南面部分の基底部は現地表より2.5m以上低い位置にあることがわかった。昭和44年の金沢大学による発掘で、櫓台石垣北西部の基礎が現地表のすぐ下で検出されていることと比較すると、櫓台南側に堀等の存在も予測され、近世前期の本丸内部の様相は、現状と大きく異なっていたものと考えられる。(下記本丸第5地点)
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