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初期金沢城の石垣等遺構の確認を目的として、14年度から継続している丑寅櫓東下、辰巳櫓南下等のほか、新たに三十間長屋、本丸附段について発掘調査を実施した。
東ノ丸東面から丑寅櫓にかけての石垣は、文禄期(1592~1615)築造とされる城内最古の石垣であり、なかでも丑寅櫓東側の雛壇状石垣が最も古いと考えられていたが、調査の結果、東ノ丸東面の高石垣と一体的に築造されており、高石垣のあとに構築されたことが明らかになった。
14年度検出した2列の東西石垣の他、南北石垣を1列検出した。これらは、北側に位置する慶長後期築造の高石垣に先行することを確認した。
長屋北側に隣接する櫓台基底部の石垣の特徴(定型化した刻印、切石加工)から、三十間長屋の創建年代が元和~寛永年間(1615~1644)に遡ることが明らかになった。
初期金沢城(寛永8年(1631)大火以前)の遺構面を検出した。既往の調査成果ともあわせ、現状の本丸附段が、寛永大火以前と以後の少なくとも2度の造成を経て形成されたことを確認した。
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