ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 史跡・名勝・天然記念物(国指定) > 成巽閣庭園・那谷寺庫裡庭園
ここから本文です。
江戸時代末~昭和初
(公財)成巽閣 金沢市兼六町1-2
指定面積 6,607.15平方メートル
国指定名勝 昭和4年4月2日指定 平成29年2月9日追加指定
成巽閣庭園は、金沢市の市街地に所在する特別名勝兼六園の南に隣接して位置し、加賀藩13代前田斉泰の母である真龍院の隠居所として文久3年(1863)に造営された巽御殿とともに、まず主庭が築かれた。
書院と茶室、水屋から成る清香軒に面する主庭(飛鶴庭)は、水流を有する清邃な平庭の優れた事例として、昭和4年(1929)に国の名勝に指定されている。
巽御殿は、明治7年(1874)に「成巽閣」と改称され、この頃に主庭から分水して、万年青の廊下の縁先に面する中庭(万年青の縁庭園)に遣水として通じさせ、築山を設け、深山幽谷の景趣が演出された。
明治42年(1909)には、東宮(後の大正天皇)の北陸行啓を契機として、前庭に表門、馬車回し、玄関が整備された。また、つくしの廊下の縁先に面する中庭(つくしの縁庭園)では既存の能舞台を除却した後、主庭から続く水路を直流から緩やかな曲流に造り替え、平明な風情が演出された。
昭和24年(1949)の前田家駒場本邸から煎茶席三華亭が移築された頃には、現在の主庭、中庭、前庭からなる成巽閣の地割りが整ったとされる。
以上のように、成巽閣庭園は幕末以来、時代を重ねて整えられてきた庭園であり、その調和が優れていることから、既指定の主庭に、中庭及び前庭を含む区域を追加し、全体の保護を図るものである。
江戸時代前期
那谷寺 小松市那谷町
指定面積 1133.61平方メートル
国指定名勝 昭和4年4月2日指定
那谷寺の庫裏は、本堂よりも古く、寛永12年(1635)の建立で、同時に庭園も築造された。
本庭は、書院の裏部から本堂の裏部にかけての北庭で、東部には池があり、中央は平庭で、西部に茶室如是庵があって、書院式露地風の庭園となっている。もとは広大で東方の瀑のあるところまで達していた。如是庵から書院裏をつないで東部の池庭へと飛石が打たれ、ところどころに石を立てている。書院の角、北東部に三尊石組手法による配石があって、本庭の主要景観を構成している。向かって右の脇石も立石として7割程度の高さをもち、左脇石は思い切って強く離しながら横石として組まれている。この石組は江戸初期寛永頃に活躍した賢庭的な手法である。また飛石本位の庭でありながら、一部に石組をみせる手法も、江戸初期の書院式露地の特色として注目される。北隅にシイの大樹があり、東方に池を挟んで杉の巨樹が亭々としている。蘚苔青々として老樹鬱蒼と茂り、景致幽すいである。
昭和60年「石川県の文化財」より
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す