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古墳時代後期~末期
加賀市勅使町(加賀市管理)
指定面積 1万3199.56平方メートル
国指定史跡 昭和4年12月17日指定
勅使町の南、通称「法皇山」と呼ばれる比高40メートルばかりの凝灰岩質の丘陵にある。横穴はその山腹を取り巻くように穿たれ、79基が確認されている。横穴は長い長方形の玄室の前に、横長の前室を設け、玄室断面形は家屋の内部をおもわせる屋根形をとった壮大で、精巧なものが多い。副葬品には刀・鏃・金環・ガラス小玉・須恵器・土師器等がある。
これらの横穴は6世紀後半から7世紀末頃(古墳時代後期~末期)にかけ築造されたもので、6世紀以降急速に成長してきた有力家族層が、江沼地域を拠点とする国造勢力に組み込まれ、政治的統合を深めた証として形成されたものであろう。
現在、史跡公園として整備され、出土品は隣接する収蔵庫に展示されている。
昭和60年「石川県の文化財」より
古墳時代中期
加賀市二子塚町(加賀市管理)
指定面積 2500平方メートル
国指定史跡 昭和7年4月19日指定
二子塚町の北方200メートルの水田中にある5世紀半(古墳時代中期)の前方後円墳。前方部を西に向け作られており、全長54メートル、後円部径29メートル、前方部幅25メートルを測る。周囲には幅10メートル前後の濠が確認されている。
昭和7年(1932)、土取り工事によって、後円部から凝灰岩の切り石を組み合わせた箱式石棺が発見された。棺内からは壮年男子の遺骨とともに、江沼の地に君臨した王者にふさわしい鏡や装身具(銀製帯金具・金銅製丸玉・勾玉・管玉・小玉)をはじめ、武器・武具(甲冑・直刀・剣・矛・鏃)などおびただしい量の副葬品が出土した。また、昭和48年(1973)から49年(1974)にかけ石川県や加賀市が実施した発掘調査では、周濠内より人物埴輪や円筒埴輪などを検出し、同古墳を取り巻くように分布する36基以上の古墳が確認されている。
露出した箱式石棺はさや堂でおおい、副葬品は併設された保存庫に収納されている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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