ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 史跡・名勝・天然記念物(国指定) > 末松廃寺跡・能登国分寺跡 附建物群跡
ここから本文です。
古墳時代末~平安時代
野々市市末松(野々市市管理)
指定面積 2万1235.5平方メートル
国指定史跡 昭和14年9月7日指定 昭和44年9月1日追加指定
白山に源を発する手取川の、扇状地に造営された寺院跡。昭和42年(1967)から43年(1968)にかけて、国の文化財保護委員会の指導により発掘調査が行われた。1辺が13メートルの基壇の上に、1辺が10.8メートルの塔建物があったと推定される塔跡と、その西側に東西20メートル×南北18メートルと推定される金堂跡基壇が検出されているが、講堂跡や門の跡は、未確認である。寺域は、東西が80メートルの規模を持つことが確認されているが、南北の規模は不明である。これらの建造物群が廃絶したのち、平安時代後期になって再建されたことが、金堂跡基壇の上の石敷きや掘立柱建物群から推定されている。主な出土品には、単弁系蓮華文軒丸瓦を初めとする多量の瓦や銀銭和銅開珎などがある。
末松廃寺を建立したのは、古墳時代後期には既に北加賀地方を支配していた道君の一族とも考えられている。
昭和60年「石川県の文化財」より
昭和43年(1968)5月 史跡公園開設
奈良~平安時代初期
七尾市国分町・古府町(七尾市管理)
指定面積 4万6238平方メートル
国指定史跡 昭和49年12月23日指定
七尾駅の南1.5キロメートル、国分町・古府町地内にある。能登国分寺は、承和10年(843)に定額大興寺を昇格させて設置された。昭和45年(1970)より3カ年にわたる調査で全貌が明らかにされており、南北208.8メートル、東西183.9メートル、ほぼ2町四方の寺域をもつ。中軸線に沿って、南大門の48メートル北に中門、それに連なり東西にのびる築地塀があり中門の北48メートルの地点の東側に塔、西側に金堂が、心々の距離48メートルで並ぶ。さらに北30メートルに講堂が配され、法起寺式伽藍配置をもつ。塔の柱間は1.5メートルと小さく、三重塔かと思われる。
素縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦の出土で、8世紀初頭の創建と考えられる。元慶6年(882)風雷のため堂塔が破損し、修理を加えた(『三代実録』)と記されているが、塔の再建はなされず瓦塔をおさめて代用したことが確かめられた。寺域外の南方に、2棟の倉庫跡と1棟の官衙的建物跡があり、国衙もしくは郡衙に関連を持つことも考えられる。
昭和60年「石川県の文化財」より
平成4年(1992)10月 能登国分寺公園・能登国分寺展示館 開設
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す