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古墳時代前期
鹿島郡中能登町能登部上・西馬場(中能登町管理)
指定面積 7万9045平方メートル
国指定史跡 昭和57年10月12日指定
雨の宮古墳群は邑知地溝帯に臨む眉上山頂上の「雷が峰」を中心とする尾根筋に築かれた古墳時代前期(4世紀代)の古墳群であり、葺石でおおわれた北陸地方最大級の前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に、方墳、円墳など、全部で36基の古墳が点在している。
史跡は「ふるさと歴史の広場公園」として整備・復元されており、古墳の隣接地に建てられたガイダンス施設では、1号墳の埋葬施設の実物大模型などを見ることができる。
古墳時代後期
羽咋郡宝達志水町散田(宝達志水町管理)
指定面積 633.97平方メートル
国指定史跡 昭和57年1月16日指定
富山県境に源を発し、邑知潟に注ぐ子浦川に臨む丘陵端に営まれた古墳。古墳の下を走る街道は富山県氷見市に通じ、越中守大伴家持が能登巡行に際して通った経路の候補にもなっている。
墳丘は、21×18.5メートルの略円形を呈し、高さは3.5メートルを測る。周溝は、墳丘の尾根側に幅3メートル・深さ0.5メートルの規模で馬蹄形に巡っている。埋葬施設は南西側に開口部を持つ横穴式石室で、全長9.85メートル、玄室の長さ5.72メートル、同幅2.65メートル、同高さ2.76メートル、玄門部の幅0.88メートル、同高さ1.7メートルを測る。石室の用材は花崗岩を主とし、一部に安山岩が用いられている。
この古墳は、明治36年(1903)に地元の人々によって発掘されている。墳丘の上に置いてある家型石棺は、この時に搬出されたものである。主な副葬品には、須恵器の杯・高杯・台付直口壺・提瓶、馬具、直刀、鏃などがある。出土品の一部は、東京国立博物館に所蔵されている。6世紀後半の築造と推定される。
昭和60年「石川県の文化財」より
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