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寛永2年(1625)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
重要文化財 昭和25年8月29日指定
妙成寺は、日蓮宗の北陸における本山として栄えてきた。現存の堂塔伽藍は、加賀藩3代藩主前田利常が、生母寿福院の菩提のため造営したもので、5代藩主綱紀の代にいたる約70年の年月を要して完結された。
参道正面の石段の上に建っているのが二王門で、「金栄山」の山号額を揚げてある。 3間1戸の楼門で、屋根は入母屋造り、桟瓦葺(当初は柿葺)。正面中央を通路とし、両脇の間には連子格子を建て込んで、なかに仁王像を安置してある。上層は三手先組で、持ち出したはね高欄付きの切目縁の上に円柱を建てて内法長押を付け、正面と背面中央間には桟唐戸を吊り込み、両脇の間は連子格子になっている。上層の組物は尾たるき付三手先組で、中備は間斗束として和様で統一している。
彫り物が少ない建物であるが、木鼻・拳鼻・実肘木などの絵様繰形は江戸初期の様式を示す。仁王像は作者不詳であるが、建築当初の作で、江戸初期の彫刻としては大作である。
昭和60年「石川県の文化財」より
寛永2年(1625)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
重要文化財 昭和25年8月29日指定
桁行3間、梁行2間、袴腰付、入母屋造り、柿葺。下段柱は8角で、野面石の基礎の上に建ち、貫を3通り差し、柱上に台輪を置き、和様の三手先組の腰組をのせて切目縁を張り、はね高欄をまわす。上層は土台上に円柱を建て、腰長押、内法長押を付け、柱上に台輪を置き、和様の三手先組斗きょうで桁を受ける。
柱間は、正面・背面の中央間を開放し、正面両脇間は吹寄せの菱組、背面両脇間は波型連子両側面は連子窓として、それぞれ異なった意匠で変化をつけている。
袴腰は、地覆石の上に土台を置き、ささら子下見を張り、その広がりは上層の軒の出と対応して均整のとれた姿をしている。
建立年代は、寺蔵の「御見文下調文書」に「釣鐘寛永年中矢支共鐘楼建立と云也」とあり、「妙成寺諸堂絵図控」には「寛永2年鐘楼建立」と見え、寛永2年(1625)仁王門と同時に建立されたことが知られる。鐘は無銘であるが、「妙成寺諸堂備品目録」に「酉新出来」と見え、享保14年(1729)の鋳造であると推定される。
昭和60年「石川県の文化財」より
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