ここから本文です。
江戸時代前期
個人蔵 珠洲市
重要文化財 昭和46年12月28日指定
黒丸家は、前田氏の能登入部後、初期の十村役を勤めた家柄であり、十村・肝煎を世襲し、農業・林業の他に酒造業も営んだという。主屋を中心にして納屋・米蔵・道具蔵などの付属の建物をもつ。池庭を配した屋敷構えや、主屋の規模に、格式の高さがうかがわれる。主屋は、入母屋造り、平入りの茅葺で、前面と背面に桟瓦葺の下屋庇が付く。
土間へ入ると、正面奥に広い台所があり、下手は水屋、上手はチャノマ・ブツマ・ザシキにつづき、表側は大型農家の間取りで、入側の付いた奥・中・下の座敷を並列させ、当初のままである。裏側は、間仕切りの改変が多く、増築もあるが、軸部はよく残っており、建設年代は元禄年間(1688~1704)前後まで遡ることができる。
奥能登型の農家形式成立以前の形式をとどめた間取りを持ち、きわめて格調の高い建物で、石川県下で最も古い民家であるのみならず、全国的にも有数のものとされる。
昭和60年「石川県の文化財」より
室町時代後期
白山神社 珠洲市宝立町春日野
重要文化財 昭和49年5月21日指定
本殿は、3間社流造り、銅板葺。桁行3間梁行2間の身舎の前面の1面通りの吹放しの庇を付け、その前に1間の向拝を付けている。
中世の珠洲郡の大部分は、九条家領の若山庄であり、若山庄の実質的な支配権は、領家である日野家の手中にあった。その日野家の庄内の祈祷所となっていたのだが、法往寺とその鎮守の白山神社であり、白山神社の存在は、弘安7年(1284)の地頭の寄進状などにより、すでに鎌倉時代後期と確認できる。現存の本殿の建立年代は明確ではないが、様式から判断して、室町末期を下らないと見られ、同社に残る厨子の台座と思われる松材に永正7年(1510)の墨書銘などがあることなどから、それに近い時期と考えられる。
江戸前期に全面的な修理が行われたようで、向拝などは、ほとんど取り替えられており、その後も再三修理が行われてきたが、古式な部分はよく残されている。昭和47年(1973)には、石川県指定文化財として解体復原修理を受け、屋根は瓦葺から銅板葺となった。
昭和60年「石川県の文化財」より
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す