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鎌倉時代
明泉寺 鳳珠郡穴水町字明千寺
重要文化財 昭和49年5月21日指定
明泉寺に伝存する室町末期の境内古絵図に見える東西両塔のうちの東塔が、現存する石造五重塔である。
塔は前波海岸に産出する石灰質細粒砂岩(前波石)を用材としたもので、総高6.782メートルの大石塔である。初重軸部は両側と奥の3方を石壁で囲み、内部を厨子とし、中に、塔と同年代の石造大日如来坐像を安置する。屋根や軒の二重たるきの手法など、木造建築を模した特色豊かな石層像で、優美な基壇の蓮弁彫刻などからみて、鎌倉後期の造塔であろう。
この塔は、三重から上が倒壊して付近に散乱し、二重屋根までが傾斜しながらかろうじて建っていたのであるが、昭和45年(1970)7月に解体修復工事に着手し、同年11月に復元が完了したものである。
白雉年中(650~654)の草創と伝える名刹明泉寺の中世盛時を語る遺産として極めて重要である。
昭和60年「石川県の文化財」より
室町時代末期
松尾神社 羽咋郡志賀町町居カ部四
重要文化財 昭和55年5月31日指定
町居の松尾神社は、承和元年(834)に、山城の松尾神社を歓請したものと伝えられる。
本殿は1間社流造りで、覆屋で保護されており、前面に幣殿・拝殿が建っている。向拝柱は面取り角柱で、向拝虹梁をかけ、木鼻を唐獅子とし、和様連三斗の組物で桁を受け、中備に竜の丸彫り彫刻をいれている。身舎柱は円柱で、上下に長押を打ち、付鴨居は付けていない。組物は禅宗様(唐様)の連三斗で、反り増しのある桁を受け、二軒繁たるきのたるきにも反り増しがある。4周に撥高欄を付けた縁をめぐらしている。
宝永元年(1704)の修理棟礼などがあり、向拝鼻木に宝永元年(1704)の墨書がある。これにより向拝回りは、この時の、修理によることが知られる。
この本殿は、様式的に室町時代末頃としてよく、古い形を残しており、向拝回りも復元不可能ではないが、昭和58年(1983)の修理では、宝永修理の姿にとどめられている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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