ここから本文です。
寛永元年(1624)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
重要文化財 昭和25年8月29日指定
堂内に日天・月天・明星天の三光天像を安置し、天下泰平・五穀豊穣と加賀藩主前田家の武運長久の祈願が行われてきた。別名は鎮守堂ともいう。
桁行5間、梁行5間、入母屋造り、平入り、柿葺の建物で、祖師堂の平面と似ており、ともに禅宗様(唐様)を基調とするが柱間寸法が、祖師堂の7尺(2.1メートル)に対し、三光堂が6尺(1.8メートル)、祖師堂の組物が三手先組であるのに対し、三光堂が平三斗組を用いるなど、三光堂の方が小型で簡略化されている。しかし、柱頭の粽や頭貫木鼻、台輪、拳鼻の形式、さらには内外陣の間仕切の手法や、内法貫上に欄間を入れる意匠などは、祖師堂と酷似している。
建立年代は確証がなく、寺伝は元和9年(1623)の建立とするが、寛永元年(1624)建立の祖師堂と精粗の差はあるものの、禅宗様を主調とした基本計画や手法・様式と共通点が多く、祖師堂を建立した建仁寺流坂上一統の手により、同年代に祖師堂とともに建てられたものと見ることができる。
昭和60年「石川県の文化財」より
慶長19年(1614)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
重要文化財 昭和25年8月29日指定
3間社流造り、正面軒唐破風付、柿葺の神社建築。身舎は円柱で、亀腹に据えた野面石の基礎の上に柱を建てる。4周に切目縁を巡らし、浜床から7級の木階をかけて登り高欄とし、縁には擬宝珠高欄を付け、正面3間を板扉とする。組物は、和様三斗で、中備は4面ともに優美なかえる股を入れている。
向拝は、大面取り角柱を両端にだけ建て、3間待ち放しに虹梁を入れて1間とし、正面に軒唐破風を付け、水平の虹梁で身舎と繋いでいる。3間待ち放しの向拝にもかかわらず、柱・虹梁の木割が細く、全体に繊細で軽快な建造物である。
寺蔵の「日体覚書」に、「三十番神之本社並拝殿御建立、微妙院様大坂御出陣ニ付為御祈祷、寿福院様・微妙院様より慶長十九甲寅被仰付」とあり、加賀3代藩主前田利常の大坂冬の陣の出陣祈願のために建立されたことが知られ、別名を祈願堂とも称した。内陣に、日蓮宗と密接に関係する三十番神(毎日交替して国家守護の祈願を受ける全国30柱の神々)祀る。洗練された姿をもつ桃山様式の建築であり、前面に建てられていた拝殿は、神仏分離によって、明治6年(1873)羽咋市円井町の推葉円比め神社に移築されて現存する。
昭和60年「石川県の文化財」より
寛文10年(1670)
妙成寺 羽咋市滝谷町ヨ-1
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す