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室町時代末期
藤津比古神社 七尾市中島町字藤瀬
重要文化財 昭和42年6月15日指定
藤津比古神社は、延喜式内社に列し、釶打郷(現中島町釶打地区)の郷社として信仰されてきた。本殿は、3間社流見世棚造り、とち葺で南面し、覆屋の中に納まっている。
礎石と両落ちの葛石は野面石で、その上に土台を置き、柱を建てている。身舎柱は円柱、庇柱は角柱とし、身舎の正面中央に幣軸を付けて板唐戸を建て込み、両脇の柱間は蔀戸を吊り、両側及び背面は横嵌板壁としている。
庇の正面は3間とも解放し、正面中央に5階の木階を付けている。身舎のかえる股や戸口回りの幣軸のなどに鎌倉時代の古式を残しているが、建立年代は実肘木などから室町時代中期と見られる。この本殿がはなはだ古式を保っているのは、天正4年(1576)の改築、元禄15年(1702)の解体修理などのおりに、つとめて前身建物の古材を使用し、建築様式の古様を忠実にうけついで来たためであろう。ただし、庇の部分は、すべて元禄15年(1702)に改造されている。
昭和60年「石川県の文化財」より)
明治24年(1891)8月 山口半六・久留正道設計
国(文部科学省)(石川四高文化交流館 金沢市広坂2-2-5)
重要文化財 昭和44年3月12日指定
設計者の山口半六と久留正道は、文部省会計局所属の建築家で、一高に始まるいわゆるナンバースクール旧制高等中学、後の旧制高等学校の建築を手掛けた。彼等の作品で現存するのは他に熊本の旧五高本館がある。山口は、フランスのエコールサントラールで建築を学び、当時の日本では、帝国大学を中心とするイギリスを範とする傾向の中にあっては、やや異端の存在であったが、この建築は、そのラテン的な抑制のきいた明快さがよく表われている。よく焼き締められた赤煉瓦を精密に積み込んだ壁面に、白煉瓦の線や焦茶色の煉瓦の巧みな扱い、窓上のアーチの軽妙な円孤などは壁面の質感や意匠に深みを出し、端正で清楚な構成、静けさが感じられる名作である。 雇いの外国人の手ではなく、大学で正規の西洋建築の教育を受けた日本人建築家の作品としては、全国で最古の現存例に属する。
昭和60年「石川県の文化財」より
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