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承応2年(1653) 山上善右衛門造
気多大社 羽咋市寺家町
重要文化財 昭和36年6月7日指定
気多神社拝殿は、桁行3間、梁行3間で、屋根は入母屋造り、桧皮葺、妻入りである。4面に切目縁を巡らしているが、高欄は付いていない。縁へは正面と両脇側から石段で昇る。軸部は、粽のある円柱に頭貫・台輪をのせ、柱上・柱間ともに阿麻組の組物で軒先を支えている。柱間には長押を付けず、正面と背面中央には藁座を付けて桟唐戸を建て込み、その他の間には舞良戸が入れてあるが、唐様を主調とした建造物である。
建立年代は、小屋梁の墨書によって、承応2年(1653)から同3年(1654)にかけて建立されたことが知られる。建仁寺流の加賀藩御大工山上善右衛門嘉広の作と伝えるが「山上家由緒書」に小松天満宮や那谷寺とともに気多神社の拝殿を建てたと記しているのみで、確証は得られない。しかし、妻の破風部分を強調していることや、細部が那谷寺護摩堂ときわめてにていることなど、善右衛門の作と感じさせる点が多い。
昭和60年「石川県の文化財」より
桃山時代
気多大社 羽咋市寺家町
重要文化財 昭和36年6月7日指定
この神門は、四脚門という形式で、2本の円柱の本柱を、それぞれ唐居敷という厚い板の上に立て、その前後に4本の大面取り角柱が控柱(袖柱)として立つ。切妻造り、平入り、檜皮葺の屋根は、反り増し付きの軒桁、化粧棟木、化粧たるきなどで軒先は真反となって快い曲線を見せている。木割も太く、袖柱の面も大きく、柱頭は頭貫でつなぎ、拳鼻をつけ、柱上は三斗組の組物を置き、中備も三斗組として桁を受ける。妻は虹梁の上に板かえる股、大斗実肘木で棟を受ける。
建立年代は、社伝に天正12年(1584)としているが、細部や全体のおおらかさからみて建立の年代の下限としてよい。江戸初期には少なくなる真反り、反り増し、板かえる股の曲線など、伝統の本格的技術を忠実に駆使して建てられている建物である。社蔵の由緒書によると、延宝8年(1680)に本殿以下の諸殿とともに修理をうけている。
昭和60年「石川県の文化財」より
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