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室町~江戸時代
小松天満宮 小松市天神町1
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
小松天満宮は、小松城に隠退した加賀藩3代の藩主前田利常が、明暦3年(1657)に建立した神社で、京都の北野天満宮から能順を招いて別当とし、社領100石・月次連歌料30石を寄進した。それより歴代藩主も深く崇敬して明治維新に及んだ。別当の能順は、近世における連歌道の第一人者で、京都及び小松において連歌の指導にあたり、子孫は世襲して神勤し、御祈祷の連歌を勤めた。かような所縁により神社には能順遺愛の連歌書を多数伝来する。享徳2年(1453)の千句をはじめとする宗砌関係のもの、明応8年(1499)の宗祇独吟百韻をはじめとする宗祇関係のものなど、中世のものには前田利常の寄進にかかる貴重なものが多い。また近世の明暦2年(1656)の百韻や元禄9年(1696)の能順の独吟のごときは、小松天満宮の連歌を示すものとして注目される。以上のごとく、中世より近世にかけての連歌書は学術的価値も高く、小松天満宮に伝来するところに意義も深い。写真は享徳2年千句の巻頭の部分。六角専順の筆と伝える。
昭和60年「石川の文化財」より
文和2年(1353)
個人 白山市
紙高25.2センチ 6紙継ぎ 全長278センチ1行17字あて摺印
県指定文化財 昭和58年1月25日指定
「如意虚空蔵菩薩陀羅尼経」(如意虚空蔵経)は、虚空蔵菩薩の求聞持の真言とその功徳を説いた経典である。巻子装、全一巻で、その刊記に 文和二年 歳次 癸巳 正月十三日
勧進沙門石動山 竹林坊重胤
大願主同山佛蔵坊賢海
とあり、南北朝前期の文和2年(1353)に、能登石動山で刊行されたものであることが知られる。また巻首に、奉納当時に押されたと思われる虚空蔵菩薩の印仏と、「奉施入石動山佛蔵坊」の黒印がある。南北朝の動乱(建武2年《1335》)で石動山天平寺の伽藍が焼け落ちてから18年目の開版である。虚空蔵菩薩は、石動山の主神伊須流岐比古神の本地仏とされており、中世の石動山虚空蔵信仰の重要な史料であるとともに、能登における年代の確認できる最も古い刊行物であり、出版文化史のうえでも重視されるべきである。
昭和60年「石川の文化財」より
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