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鎌倉~江戸時代
永光寺 羽咋市酒井町イ-11
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
永光寺は瑩山紹瑾(1268~1325)が開き、曹洞教団の中心として興隆をはかった寺院であり、伝存する文書・典籍は、量質ともに曹洞教団史の基本史料として重要である。文書群は巻子37巻(116通)・1紙文書77通によって構成され、このうち中世文書が約3分の1を占める。文永6年(1269)の沙弥西願譲状案が最古の年号を示すが、永光寺創立期の文保2年(1318)の平氏女寄進状をはじめ、寺領安堵を示す建武3年(1336)の足利尊氏御判御教書、利生塔造立を伝える暦応2年(1339)の足利直義御教書など、永光寺の創建事情、門派の形成分化、室町将軍家や能登守護吉見・畠山両氏の保護、寺領の形成過程やその構造の特質などを詳細に伝えている。典籍(56冊)は、室町・戦国時代の『正法眼蔵』及び「瑩山清規」の写本など経典・語録・清規などが中心である。板額2面は、元亨3年(1323)銘の洞谷山七仏伝灯三国列祖次位額1面と、室町時代の伝灯院建立施主霊牌1面で、ともに中世曹洞教団の信仰遺品として貴重である。
昭和60年「石川の文化財」より
江戸時代全期
羽咋市歴史民俗資料館 羽咋市鶴多町鶴多田38-1
県指定文化財 昭和57年4月6日指定
加賀藩十村役を勤めた桜井家に伝来する文書ならびに典籍群。内訳は、古文書が1053点、典籍が378点(618冊)である。文書は、天正16年(1588)分未進金子請受状を最古とし、江戸時代を通して伝存するが、元禄期以降のものが多い。とくに、当家が河北郡岸川(現金沢市岸川町)から出自し、河北郡高松村(現高村町高松)から、羽咋郡吉田村(現志賀町北吉田)を経て、羽咋郡柳田村(現羽咋市柳田町)に移った、いわゆる引越十村であるため、地域は広範囲にわたる。内容的には初期の河北・石川郡の年貢皆済状、享保期の妙成寺との関連で特異な滝谷村諸役御免関係、十村と役中作配高、武家御算用聞との関係文書が留意される。典籍も江戸中期以降が主体であるが、13代友三郎(俳号梅平)の俳書・書画は、十村の教養、地域俳諧を知る貴重な史料である。
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