ホーム > 観光・文化・スポーツ > 文化・芸術 > 文化財 > 石川の文化財 > 書跡・典籍(県指定) > 絹本墨書薄木版下絵詩歌 (和漢朗詠集)巻・手鑑 (274葉)
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寛永3年(1626)
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
長さ666.8センチ 幅32.6センチ
県指定文化財 昭和62年1月14日指定
光悦(永禄元年~寛永14年、1558~1637)は、室町時代以来、刀剣の鑑定・研磨・浄拭を業としてきた本阿弥家に生まれ、趣味豊かな文化人あるいは芸術家として知られている。元和元年(1615)大坂の役後、徳川家康から洛北鷹峯に広大な土地をもらいうけ、一族の者や工芸の職人たちをひきつれ移り住み、いわゆる芸術村をつくり、寛永文化の重要な荷担者となった。
さて、能書として高い評価をうけた光悦独特の様式美は、慶長年間、宗達下絵といわれる金銀泥を用い描かれた美しい料紙の上に、古今和歌集あるいは新古今和歌集などを大らかでゆとりのある書体で、余白を生かし、下絵と文字とが一体となって調和した華麗な装飾美を完成させたことでしられている。これらの和歌巻には、ほとんど年紀は記されていないが、寛永年間に入ると、奥書に年紀と光悦の行年書きをもつものが多くなり、また、歌も朗詠集があらわれている。この詩歌集は、奥書に『寛永三年九月 日鷹峯山大虚庵 歳六十九(光悦印)』とあり、寛永年間の年紀の記されている中で、最も早いもののひとつで貴重である。絹本に薄と忍草のおりなす群を、数種の木版を用いて組み合わせ、反復し、横へと連続する。版木から絹を離す際に自然に生じる金泥のムラムラとした濃淡の効果は、琳派特有の『たらし込み』を思わせる。空間や余白の生かし方がすばらしく、微妙に光る金の輝きが魅力的である。
また、書かれている和漢朗詠集の書体は、濃墨を用い、筆端のとがったかすれるような、光悦晩年の老枯の味わいがある。製作年代の判明することや、寛永期の光悦の書体を知るための基準作の1つとして、光悦編年の上で重要なものである。
奈良~江戸時代(8~17世紀)
石川県立美術館 金沢市出羽町2-1
縦40.0センチ 横36.6センチ 厚さ12.5センチ
県指定文化財 平成8年4月9日指定
本手鑑は、三十折からなる大型のもので、短冊類を含めると総数274葉(表134葉、裏140葉)の切が収められている。表紙は海老茶地に、縹、緑、黄、白、鶸色の糸による、牡丹・菊等、唐草文様の緞子で、四隅と天地、左右には、螺鈿、唐草彫りの留金具が施されている。見返しは、金・銀の砂子に野毛を撒き、箔押しで、雲霞を描いてある斐紙に、胡粉・緑・青・朱などにより、表見返しには菊花と薄の絵が、裏見返しには蘭の花の絵が、それぞれ描かれている。他の手鑑と同じように、本手鑑でも圧倒的に多いのが和歌関係で、次いで経切などの仏書関係となっている。
ただし、和歌では新古今集が21葉、古今集が14葉、後撰集が8葉の順となっており、他の手鑑に比べ、新古今集と後撰集の多さが目立っている。その他、源氏物語の12葉、和漢朗詠集の8葉、法華経の7葉などが同一作品では比較的まとまった数を持っており、やや源氏物語の多いのが、特徴の1つとなっている。冒頭に聖武天皇の大聖武、光明皇后の蝶鳥下絵経切を配しているのは、一流の手鑑が持つ最初の要件であるが、その他にもこの手鑑には、いわゆる名物切として、宗尊親王の熊野切(白氏文集)、通親の竜山切(千載集)、俊頼の東大寺切(三宝絵詞)、雅有の八幡切(後拾遺集)、尊円親王の金沢文庫切(万葉集)、民部卿局の秋篠切(後撰集、阿仏の角倉切(後撰集)、頼政の平等院切(和漢朗詠集)、時頼の光泉寺切(白氏文集)、了俊の伊予切(源氏物語)などを載せており、重要美術品クラスの手鑑に比して遜色のないものである。
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