ここから本文です。
江戸時代中期~明治時代中期
内灘町歴史民俗資料館 河北郡内灘町字宮坂に455
県指定文化財 平成16年11月30日指定
木谷家は、江戸時代に粟崎湊(河北潟口に近い大野川川岸にある川湊)を中心に活躍した船主であり、嶋崎家、銭屋家らと共に海運業を営む一方で、地元加賀藩を初めとする各地の藩に融資をし、諸藩を経済的に支えていた加賀の豪商である。木谷藤右衛門家文書は、元文2年(1737)12月18日(一説では元文4年)の火災で焼失し、現存する文書のうち、年代が判明していない文書を除くと、火災以前の文書は元禄10年(1697)と、享保13年(1728)の文書2通で、残りは主に天明期(1781~1788)以降の文書である。本文書の内容は、調達金関係や商取引関係の文書及び借用証文などが大半を占めており、これらは、木谷家が融資した相手(武家大名、家臣、各地の商家等)や木谷家の経営実態、当時の日本海の海運状況、さらには関係各藩の財政状況を知るうえでも重要な歴史資料である。
桃山時代~明治時代初期
前田土佐守家資料館 金沢市片町2-10-17
県指定文化財 平成18年10月20日指定
前田土佐守家は、前田利家の次男利政を家祖とし、加賀藩の年寄役を務めた「加賀八家」の1つで、5代直躬、6代直方、7代直時、10代直信が土佐守に任じられたことから、一般に「前田土佐守家」と称されている。本資料は、前田土佐守家に伝来した古文書類5764点、雅堂文庫751点、武具甲冑・書画・工芸品類2549点、合計9064点から成っている。このうち古文書類は、大別して、家政文書・藩政文書・学芸文書・明治以降の4つの文書群から成っており、加賀藩臣前田土佐守家の成立や、藩政史上における当家の果たした役割、さらには漢詩、和歌、武芸など当主の教養・修養等に関する史料がある。特に織田信長黒印状や豊臣秀吉の消息は、初期加賀藩の成立を知るうえで極めて重要な史料である。また雅堂文庫は、そのほとんどが江戸時代の和本であり、内容は漢籍、漢学書、仏教書、歴史書、兵法書等多岐にわたる。武具甲冑・書画・工芸品類は、藩祖利家ほか前田土佐守家歴代当主所用の甲冑・武具・刀剣及び、当主の肖像画を含む書画・道具類などであり、とりわけ、初代利政の所用とされる甲冑「黒漆塗黒糸威二枚胴具足」及び、芳春院が2代直之に贈与した利家所用の脚絆はいずれも16世紀の作品で、父利家と母まつを想起させる当家を代表する逸品である。『前田土佐守家関係資料』は、大名並の格式を誇った当家の暮らしぶりを知る格好の資料であるとともに、歴代藩主や芳春院の書状、加賀騒動や藩財政に関わる史料など、加賀藩政を知るうえで欠くことのできない貴重な資料となっている。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す