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江戸時代後期(天保9年)
石川県立歴史博物館 金沢市出羽町3-1
折本装49折 折幅 縦27.5センチ 横20センチ 表紙布貼
県指定文化財 昭和61年3月22日指定
本資料はその序文により天保9年(1838)に北村穀実が著した能登国の採魚方法を図解で示した彩色の画帖である。著者の北村穀実は当時、鳳至郡鵜川村(現在の能登町鵜川)の十村役北村為次郎穀盛の弟敬蔵と推察され、成巽閣にも2帖本が所蔵されていることから藩命を受けて描いたものであろう。図解は、捕鯨の図を中心に能登近海における江豚漁・突漁・網漁・釣漁と海士の潜水漁、七ツ島の胡ど打に加えて漁具や敷網(定置網)の仕法、風の風位等が描かれて、近世の漁業資料として貴重である。
南北朝~室町時代
松尾寺 羽咋郡志賀町町居カ-18-1
1 薬師如来懸仏 銅造 径37.5センチ 像高15.8センチ
2 薬師如来懸仏 銅板打出 径21.0センチ 像高9.0センチ
3 薬師如来懸仏 銅板打出 径19.0センチ 像高4.5センチ
4 薬師如来懸仏 銅板打出 径18.8センチ 像高4.0センチ
5 如来形懸仏 銅板打出 径16.0センチ 像高5.5センチ
県指定文化財 平成元年12月22日指定
松尾寺に所蔵されている松尾大明神(現松尾神社)の本地仏懸仏である。銅造の薬師如来懸仏は、径37.5センチの杉材円板に薄銅板を貼り、中央に、台座の上に結跏趺坐する薬師如来像を安置し、台座下中央を軸にして屈曲した太い銅線を左右に開き、その両端に花瓶を配し、外区を連珠文と三鈷文で飾り、上部には獅噛座と宝珠形の鐶台を付けており、南北朝時代の特色を示している。永禄2年(1559)の銘のある銅板打出薬師如来懸仏は、径21.0センチの檜材円板に薄銅板を貼り、中央に薬師如来像を安置し、左右に蓮花を飾った花瓶を配し、像背に舟形透彫光背、上方に天蓋、下方に透彫波文を打ち、両肩に獅噛座を付けている。この様式の懸仏は能登でもかなり遺存するが、在銘のものは極めて稀である。さきの銅造のものとともに中世の松尾大明神の御正躰として重要であり、さらに現存する松尾神社の造立年代を窺う資料としても重要である。このほか3面の懸仏についても、永禄2年のものと同一様式であり、製作年代も室町末期と推定される。
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