ここから本文です。
室町時代 応永2年(1395)
加茂神社
(石川県立歴史博物館保管 金沢市出羽町3-1)
銅板切抜 径48.4センチ ※種子は1画のみ残存
県指定文化財 平成元年12月22日指定
直径48.4センチの檜材に黒漆を塗り、銅板切抜の不動三尊種子を貼り付けた全国的にも稀少価値の高い遺品である。現在は、不動種子の1画しか残存しておらず、当初の面影が損なわれているのが惜しまれるが、裏には、尊銘・意趣・願主・大工・年代の五要素を具備した典型的な銘文が記されており、その資料的価値を高めている。銘文により、土田賀茂庄の荘園領主である上賀茂社の摂社にあたる貴布祢社を勧請した御正躰であり、それに石動山の社僧が関わったことが知られ、中世の荘園村落支配と石動山信仰の関わりを示す極めて重要な資料である。また、県下の懸仏の中で「御正躰」と記された最古の遺例としても重視される。
室町時代~戦国時代初期
別所谷八幡神社 輪島市別所谷町46-4
嘉吉3年札 杉板、長方形、高さ48.8センチ
上幅9.4センチ 下幅8.8センチ 厚さ0.7センチ
明応2年札 杉板、尖頭形、高さ75.5センチ
幅18.5センチ 厚さ1.3センチ
県指定文化財 平成5年8月25日指定
別所谷村の八幡宮に奉納された中世の寄進札2枚で、同宮の祈祷札・棟札の裏面を転用した遺例の稀少な歴史資料である。嘉吉3年(1443)の札は、同年9月22日、現世安穏・後世善処と今世の得現果報を、八幡大菩薩(八幡宮)宝前で祈祷した旨を伝えたもので、仏神号の上に「南無妙法蓮華経」と書かれており、当時同宮が、別所谷村の法華寺院(成隆寺)の支配下に置かれていた事情を窺わせる。裏面の異筆の文言は、八幡宮に9月祭田(神田)を寄進した旨を認めており、祈祷札を受けた祈祷の依頼主(氏名不明)が、改めてその裏面に寄進行為を書き付け、同宮に納めたものであろう。明応2年(1493)の札は、同年9月の八幡宮造営の棟札で、別所谷村の領主であった温井俊宗と神主越前守正盛・大工与次郎の名前が見える。裏面には異筆で、八幡宮への田地寄進の文言が書かれており、造営に係る寄進行為とも見なされ、寄進主は不明であるが、温井俊宗の可能性がある。能登国における中世村落の鎮守社と在地の領主・法華寺院の係わりを知らせる極めて貴重な資料である。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
同じ分類から探す