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桃山時代
菅生石部神社 加賀市大聖寺敷地町
(東京国立博物館保管 東京都台東区上野公園13-9)
縦 37.9センチ 横 29.7センチ 高さ 24.2センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
箱の四隅が朱漆塗となっている角赤の手箱は、桃山時代以降とくに盛行し、手箱・沈箱・香合など、大小各種のものがつくられている。この手箱は、かぶせ蓋で、蓋の甲面と側面の上部を、身は側面の下部を各四方隅にかけて花形に区切り、梨子地肌に菊と桐の花紋を蒔絵で散らしている。
他の残りの部分は、素地の上に荒い布を張り、直接朱漆を塗って布目をあらわし、いわゆる「角赤」の様式をとっている。やや形式的なきらいはあるが、甲面の盛りあがりや、花形の区画、菊桐紋の文様構成、側面につけられた金具など、加飾全般にわたって、なお豪華な桃山時代の余韻を感ずることができる。
加賀藩3代藩主前田利常夫人祢々姫(天徳院)が、金沢城へ輿入れの際の江戸からの持参品といわれ、祢々姫が信仰した菅生石部神社へ、祢々が没してから利常により元和5年(1619)に寄進されたものである。
昭和60年「石川県の文化財」より
室町時代
白山比咩神社 白山市三宮町2-105
縦 25.5センチ 横 38.4センチ 高さ 24.6センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
沈金は中国で鎗金といい、漆塗面に文様を針彫りし、刻文のなかに金箔を付着させたもので、中国宋・元時代より盛んに行われた加飾法である。我が国では、すでに室町時代に中国より鎗金器が数多くもたらされ、これを模したものが製作されるようになった。
この手筥は、室町時代に我が国で作られたもので、長方形の印籠蓋造りで、蓋表の稜に大きく曲面を作り、塵居を広く設け、各側面に段落を作って唐戸面様に仕立て、直線的で端正な形となった特殊な形式の箱である。黒漆塗に細く流麗な線の沈金で、蓋の表に鳳凰2羽を旋回状に配し、余白を牡丹と菊の花枝でうめ、蓋の4側面に唐花唐草文などを配している。
また身の各面に鳳凰1羽と牡丹・菊を描き、側面に金銅製の魚子地藤巴を彫った紐金具を打っている。文様の配置や表現は中国風であるが、一方では和風の趣も見せ、沈金が行われるようになった初期の作品として貴重なものである。
昭和60年「石川県の文化財」より
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