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江戸時代前期
石川県立美術館 金沢市出羽町2ー1
左右 48.6センチ 高さ 17センチ
国宝 昭和26年6月9日指定
ほぼ等身大の雉の形をした香炉で、飛び立つ寸前の姿を写し、気迫に満ちた緊張感あふれる作品である。背部と腹部の上下2つに分かれ、腹部の内側に高い合口がたって、背部がかみ合うようになっている。蓋になる背部には4個の半月状の煙出し穴があいており、香炉としての機能を見せている。
素地は、わずかに黄色味をおびた一面にあらい貫入がある陶体で、そのうえに緑・紺青・紫・赤・黒・金の絵具を使って、目・とさか・耳・羽根・羽毛などを、豪華に極彩色で描いている。古来、仁清の彫塑的作品の代表的傑作として広く知られる名品である。
作者の野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村の生まれで、名を清右衛門といい、京都に出て御室の仁和寺の門前で開窯したところから、仁和寺の「仁」と通称の清右衛門の「清」をとって、「仁清」と称したと伝え、これを作品に用いており、この作品にも、背部と腹部の内側に、それぞれに仁清の刻印を押している。生没年はいまなお詳らかでないが、万治2年(1659)には、陶工としての最高の栄誉である播磨大掾藤原正広入道となっており、最も活躍した年代は江戸前期頃と推定されている。
昭和60年「石川県の文化財」
鎌倉時代
白山比咩神社 白山市三宮町2-105
(石川県立美術館保管 金沢市出羽町2-1)
長さ 34.8センチ 身幅 2.2センチ
国宝 昭和27年3月29日指定
この剣は、日本刀剣史上、剣の遺作のなかで最も著名なものである。形状は、両鎬造できわめて優れ、小振りではあるが品位があり、両面鎬の上に樋を掻き、茎までとおしている。鍛は、小板目がよくつんで細かい美しい梨子地肌をあらわして地景が交じる。刃文は、直刃調で小乱れを交え、小沸がよくついて小足が入り、吉光の特色を十分にあらわしている。しかも健全無比で、定評に価する名剣である。藤四郎吉光は、室町時代より相州五郎入道正宗と並んで名高く、江戸時代には正宗・江ノ義弘とともに三作と呼ばれ、大いに珍重された刀工で、鎌倉時代の京都粟田口派の刀工のうちでは最も有名であり、とくに短刀や剣の作刀に優れた手腕を示している。この剣の伝来は、徳川家光の養女阿智子(徳川家圀の姉、清泰院)が、加賀藩4代藩主前田光高に嫁した際の持参品で、清泰院が死去した翌年の明暦3年(1657)に、子の5代藩主綱紀が、母の冥福を祈って白山比咩神社へ奉納したものである。
昭和60年「石川県の文化財」より
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