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元和元年(1615)~明治30年代
石川県立歴史博物館 金沢市出羽町3-1
県指定文化財 昭和63年4月8日指定
岩佐家は河北郡白尾村(現かほく市七塚町字白尾)にあって、江戸時代中期から代々加賀藩の十村役として主に河北潟沿岸村落の支配に任じていた。岩佐家文書は、加賀藩から十村に達せられた制令・条令を書き写した「御定書」の写、御用留、岩佐家歴代の役職を示す御題紙が多いが、その他珍重すべきものとして、「蝦夷地騒動報告」「松前表風説覚書」など外国人との事件を記した海防関係資料や「出来塩算用状」「塩製録」など製塩関係資料がある。
また、河北潟の猟業を説明する「湖水猟業絵図」「猟方旧記写」などの猟業資料は量は多くないが、岩佐家文書の特色を示すものである。白尾村は日本海に沿う能登の入口に位置し、同時に岩佐家の支配する村々も多くが河北潟及び日本海に面するため、本文書浦方資料として、また河北潟周辺の半農半漁の村の動態と村民の生活を知る上で貴重な資料である。総数571点は、昭和42年9月かほく市の所有者から石川県に寄贈されたものである。
室町時代~明治時代
専光寺 金沢市本町2丁目3-40
県指定文化財 平成2年9月26日指定
当文書の所有者専光寺は中世、加賀国石川郡大野庄吉藤(金沢市専光寺町)にあって、加賀本願寺教団の中核の1つであった。近世寺基を金沢城下に移徙し、東本願寺派(大谷派)の北加賀の触頭となり、東本願寺ならびに加賀藩の宗門統制機関の役割をはたした。専光寺が所蔵する中世、近世、近代にいたる文書群の中で、最も古い文書は、文明5年(1473)12月8日付けの蓮如書状(多屋内方の文)である。専光寺文書は、本願寺歴代の宗主、家臣、加賀藩歴代の藩主、連板、家臣、専光寺、役寺等の発給文書、末寺、配下からの受給文書、諸記録(冊子)などによって構成される。戦国時代一向一揆の状況、近世触頭寺院の役割を知るためには、極めて重要な資料となる。地方の眞宗大坊の伝蔵文書としては、第1級の価値を有し、特に、7月4日付の蓮如書状(御叱りの御書)や専光寺末寺118ヶ寺を網羅した「三ヶ国末学象中物帳」などは著名である。なお、専光寺所蔵の聖教、典籍類のうち「持名抄」「浄土眞要鈔」「三帖和讃」は、別に、石川県指定有形文化財(典籍)となっている。
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