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室町~明治時代
気多大社
(羽咋市歴史民俗資料館保管 羽咋市鶴多町鶴多38-1)
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
能登国一宮の気多神社が現蔵する文書で、伝来関係は、従来から神社で所蔵されてきた文書群(気多神社所蔵文書)と、旧大宮司家桜井氏旧蔵の文書群(大宮司家文書)からなる。気多神社所蔵文書の上限は、正長元年(1428)6月の気多神社神官供僧訴状案で、総数71点を数えるが、その大部分は慶長期(1596~1615)以前のものである。なかでも、大永6年(1526)10月の気多社年貢米銭納帳などは、戦国期の気多神社の社領構造の具体相を詳細に知らせるものとして貴重である。また大宮司家文書は、応永24年(1417)10月8日の某家政所下文案が上限で、総数は1610点、慶長期(1596~1615)のものも309点と多く、江戸時代の文書では、社家・社僧の構成やその所領経営の実態を明示するもののほか、社家触頭として加賀藩寺社奉行との交渉に関連する文書も多く含まれている。能登の中世後期の在地動向や、近世の加賀藩政下における神社制度を理解する上での基本史料である。
昭和60年「石川の文化財」より
鎌倉時代~江戸時代
白山比咩神社 白山市三宮町2-105
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
白山宮加賀馬場本宮に伝蔵されてきた文書群であり、古代以来の白山信仰の展開の様相を示す貴重な史料群である。このうち「白山縁起」・「三宮古記」・「白山宮荘厳講中記録」・「神皇正統記」の4点は、重要文化財に指定されているが、他の文書群も、4点に劣らぬ価値を有し、合わせて白山信仰の全体像を解明する基礎史料を構成する。中世文書には、荘厳講などの仏神事、衆徒組織、在地領主および神人百姓などとの交渉を示す史料が相当数あり、荘厳講を中心にした白山寺の教団組織を知ることができる。近世文書になると、信仰形態は大きく変容し、加賀藩前田家の領国鎮守として崇敬されたので、前田家の奉加・寄進・造営や祈祷に関する史料が多くなる。なかでも、慶長12年(1607)に興行奉納された加賀藩士による万句連歌は、連歌史上においても特筆すべき史料である。
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