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天明7年(1787)清水次左衛門他造
気多大社 羽咋市寺家町
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
本社本殿・摂社白山神社・随身門などと同じく、加賀藩11代藩主前田治修の時、前藩主前田重教の命により社頭造営が行われた際の建立である。方1間、校倉造り、宝形造り、檜皮葺の小規模なもので、もとは「宝蔵」と呼ばれていた。床下は高床として石柱を建てる。斗きょうは舟肘木とし、中備に蟇股を置く。正面に箱階段を設け、桟唐戸を建て込んでいる。棟飾は損なわれて、略式のものを用いている。
昭和60年「石川の文化財」より
天明7年(1787)清水次左衛門他造
気多大社 羽咋市寺家町
県指定文化財 昭和57年1月12日指定
本社本殿・神庫などと同時に建てられたもので、気多神社の南東約185メートルの飛地境内に建ち、旧街道から北西に入った旧参道口に位置する。3間1戸の八脚門で、切妻造り、桟瓦葺であるが、もとは柿葺であった。基礎は、野面石とし、柱は円柱、斗きょうは大斗 実肘木で、妻飾りは豕扠首の、全体に装飾の少ない簡素な門である。正面中央を通路とし、両脇の間は、腰に金剛柵を設け、中仕切りに格子を建て、奥に随身像を安置している。中央通路には、虹梁をかけ、蟇股をのせて、竿天井を受けており、虹梁繰形などは、本社本殿・摂社白山神社と共通する。
昭和60年「石川の文化財」より
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