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大正元年(推定)
無限庵 江沼郡山中町下谷町ロ6番地
県指定文化財 平成12年8月29日指定
無限庵御殿は、横山家の新御殿として金沢に建てられた書院を移築したものである。建設年代は書院正面の床の間に敷き込まれた板畳の裏に「大正元年拾弐月廿八日出来人 白山捨吉」の墨書があることから大正元年建造と推定する。鉱業で隆盛を誇った横山家13代隆平の分家である横山章が高岡町の自邸内に建造した書院であったが、経営悪化の中で大正10年、新家家へ売却され、山中町の別邸の一部として移築、更に昭和57年に所有権が移転し無限庵御殿となり、現在に至る。御殿は、大聖寺川を見おろす山腹に建ち、36畳敷の書院と20畳敷の次の間が並接し、四周に幅1.2メートルの縁側が巡る平面を持つ。書院は中央に2間の床の間、両側に1間ずつの床脇を配し、付書院は構えず、縁側に向かって全面開放し山腹の縁を眺める。床の間は、床柱を左右とも下げ束とし、右方の琵琶台は黒柿の束を立て、蹴込に蒔絵(大垣昌訓 作)を嵌め、左方は地袋と天袋を少し後退させて設けるなど、床全体を連続感のある正面としてとらえる斬新さを持つ。空間としては、10.7尺と高い天井だが、2.5間の柱スパン、1間幅の襖などの効果もあって大らかで調和のとれたプロポーションを有する。壁や襖は雲と山が一体的に連なる金泥絵の張付になっており、豪華さの中にも抑えの効いた平明さが印象的である。次の間との境の欄間には、左に雲間の満月、右に松の彫刻、中央は多くの余白で左右の彫刻をつなげる。また螺鈿を施した和風シャンデリア、釘隠しや引手などの細工、縁側の黒柿手摺の透かしなど品格ある装飾になっている。縁側の壁が成巽閣にあるような群青色になっていて、金泥とは対比的である。以上のように本書院は、格式と豪華さを示しながらも、平明さを目指した構成であり、しかも自由な数寄の意匠を通わせているなど、近代書院の傾向を示す秀作である。また木造技術としても当時最高の粋を集めた普請であった。
本堂 嘉永2年(1849)
本願寺金沢別院 石川県金沢市笠市町2番47号
県指定文化財 平成17年3月25日指定
経蔵 慶応2年(1866)
本願寺金沢別院 石川県金沢市笠市町2番47号
県指定文化財 平成17年3月25日指定
経蔵は本堂正面に向かって左手前に位置し、六角の平面で吹放しの裳階をつけ、柱は、礎盤上に六角柱を建てる。主屋の屋根は、露盤付宝珠を乗せた桟瓦葺の六角方形であり、軒は二軒扇垂木となっている。裳階の屋根は、桟瓦葺で、軒は、一軒平行繁垂木である。正面上部の壁に、「仏が教えを説くこと」を意味する「轉法輪」と書かれた扁額が掲げられている。組物は平三斗組(絵様実肘木、拳鼻付)となっており、中備には蟇股を配し、裳階の組物は大斗絵様肘木組とする。経蔵内部には、経典を収める八角宝形の回転式輪蔵を備えており、県内でも数少ない輪蔵の1つとして、貴重である。この経蔵は、六角平面であるばかりでなく、細部に施された彩色や、外壁上部の漆喰壁に見られる窓の形や鏝絵など、江戸後期の多様さを持つ建築物として、貴重である。
鐘楼 安政3年(1856)
本願寺金沢別院 石川県金沢市笠市町2番47号
県指定文化財 平成17年3月25日指定
鐘楼は、経蔵の東方に位置し、方一間の吹放しの入母屋造りで、屋根は桟瓦葺、軒は二軒扇垂木となっている。基壇の上に礎盤を置き、その上に粽付丸柱を建て、貫は下から、腰貫、飛貫、頭貫(虹梁形)を入れ、頭貫上には台輪をめぐらせている。 組物は二手先(実肘木、拳鼻、尾垂木、支輪付)を詰組とし、中備に蟇股を配す。装飾的な組物と放射線状の扇垂木で構成される軒廻りは、実に多彩で、江戸後期の禅宗様式を見事に見せている鐘楼として、貴重である。
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