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嘉永年間(1848~54)
(公財)成巽閣 金沢市兼六町
県指定文化財 昭和38年7月3日指定
三華亭は、加賀藩13代藩主斉泰が嘉永年間(1848~54)に江戸本郷の藩邸内に造った煎茶席を明治4年(1871)年頃、あらたに江戸根岸にできた藩主住居庭内に移築したものと考えられるが、異説もある。明治30年(1897)頃、東京本郷の前田邸に再び移され、さらに昭和3年(1928)に東京駒場の前田邸に転じ、昭和24年(1949)年に金沢の成巽閣玄関右手の庭内に移築された。
建物は、身舎三間半に三間、延べ12.5坪(41.25平方メートル)平屋建、寄棟造り、銅板葺、内部は五畳の煎茶席と三畳の香煎席(書斎の間)、鞘の間(入側四畳の寄り付き)及び三畳と板敷の水屋の間(控えの間)となっている。
煎茶席は、六畳間の中に一畳分の踏み込み床を取り、入側との間には海獣ウニコールの牙をはめ込む。煎茶席と香茶席との境は、瓢透の壁と四枚建ての戸襖からなり、戸襖の両面は漆塗りで、煎茶席側は古様の鳥と雲と花紋を散らし、香煎席側は欄亭序の一節を高蒔絵風に金字で浮かし、四君子を配する。その他障子にギャマンをはめたり、引手に玉の透かし彫を用いたり、さまざまの唐墨の形を象眼にした小板戸や、染付けの花鳥画の陶板をはめ込んだりしており、江戸末期の高雅な文人趣味にあふれている。
昭和60年「石川県の文化財」より
文政5年(1822)
(公財)成巽閣 金沢市兼六町
県指定文化財 昭和48年2月5日指定
辰巳長屋は、もとは文政5年(1822)に加賀藩12代藩主前田斉弘が営んだ竹沢御殿の前面に設けられた表御門及び裏御門を含む長屋を称した。現存するのは、文久3年(1863)の巽新殿(現在の成巽閣)の建設に伴い、その約3分の1が移築されて、門脇の長屋として使われてきた部分である。
桁行17間、梁行3間、2階建、入母屋造り、桟瓦葺、箱棟及び鬼瓦は鉛瓦包み、外部は大壁漆喰塗、腰壁の三方は海鼠壁とし、一方は羽目板、軒は疎木垂波型揚塗、内部は真壁で、壁は拭板敷、一部は土間となっている。
昭和60年「石川県の文化財」より
文政5年(1822)
(公財)成巽閣 金沢市兼六町
県指定文化財 昭和58年1月25日指定
この土蔵は、文久3年(1863)の巽新殿(現在の成巽閣)建立の際に、現在位置に築造されたもので、それ以来、大修理も行われず、今日までよく保存されてきた。土蔵造2階建で、鞘屋根は寄棟、平入り桟瓦葺。桁行10間、梁行5間。外部は白漆喰壁、腰は越前平貼り、基礎は亀甲石積み二段で、葛石とともに戸室石を用いている。
格式高く優れた伝統的手法で造られており、規模も大きく、この種の土蔵の典型的な遺例として重要な建築である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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