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延宝5年(1677)
妙成寺 羽咋市滝谷町
県指定文化財 昭和41年7月8日指定
開山堂は、妙成寺の現存伽藍造営の最終期に建てられた小規模な建物で、「妙成寺諸堂絵図控」に「開山堂 日像菩薩石塔堂 延宝五年丁巳年 日遼私造也」とあり、延宝五年(1677)に一九世日遼が外護の手を借りずに建立したものである。
正面一間、側面一間の平屋建、入母屋造り、平入り、桟瓦葺。正面は格子入桟唐戸、両側面及び背面は羽目板壁とし、組物は平三斗、軒先は一軒、半繁木垂とし、妻飾りは狐格子に鏑懸魚を付けている。
堂内正面に、開山日像の笠塔婆、その左右に二世日乗の笠塔婆(唐歴二年(1380)在銘)・開基柴原法光の笠塔婆(応永三三年(1426))、その両側に歴代の墓・供養塔が安置されている。
昭和60年「石川県の文化財」より
延宝5年(1677)
妙成寺 羽咋市滝谷町
県指定文化財 昭和41年7月8日指定
釈迦堂は、開山とともに、妙成寺一九世の日遼が造営したもので、「妙成寺諸堂絵図控」によれば、貞享3年(1686)に建立されている。
桁行三間、梁行四間、外観重層の入母屋造り、平入り、柿葺。正面中央に桟唐戸を建て込み、その上の木眉上には大鳥が猿を捕らえている彫刻を入れた蟇股を配している。両脇間には花頭窓を付け、内部に連子格子を入れる。
堂下下層周辺の格天井を張り、中央間は吹き抜けとなって天井高く、竿縁天井で、堂内の奥に、丈六の釈迦如来立像が安置されている。
昭和60年「石川県の文化財」より
延宝5年(1677)
妙成寺 羽咋市滝谷町
県指定文化財 平成10年2月27日指定
妙成寺三十番神堂拝殿は、藩主前田利常の大阪冬の陣戦勝祈願のため、本殿とともに建立されたと伝えられ、別名祈願堂とも呼ばれている。
明治の神仏分離により、金沢藩から取り払いの命を受け、明治6年(1873)、円井村(現羽咋市円井町)に移築され。椎葉円姫神社拝殿として使用されていたが、平成2年に元の地に戻され、建立当初の姿に復元修理された。
建物は、本殿が和様を基調としているのに対して拝殿は、唐様の要素を取り入れるなどの相違があるが全体として本殿と意匠・技術をおなじくしており、優美で洗練された桃山様式の建物である。
建立年代については、建立当初の棟札は残されていないが、平成2年の解体父区復元工事忠の調査により、正面唐破風奥の部材から「元和二年丙申四月」の墨書が発見され、元和2年(1616)に完成したことが判明した。
意匠的・技術的に優秀であり、日蓮宗本山級伽藍の鎮守社としては唯一の遺存例であり、歴史的価値も高い貴重な文化財である。
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