城郭庭園等の総合研究(26年度)
事業概要
本事業は、金沢城に関する庭園の構造・機能及びその変遷等について、学際的・総合的に検討することにより、金沢城の特質を一層明確にし、併せて城郭の構成要素としての庭園の意義の解明に資することを目的とする。本年度は、東ノ丸南部の庭園遺構の発掘調査、兼六園の絵図・遺構調査、普請作事関連史料の検索等を行った。
主な成果
東ノ丸庭園遺構の発掘調査
- 調査期間:平成26 年9 月1日~ 10 月31 日 調査面積:50平方メートル
- 東ノ丸の庭園については、池あるいは窪地と見られる地形を描いた絵図が若干知られる程度で、築造や利用に関する文献史料もなく、実態は不明であったが、平成17 年度の確認調査(2005-7 地点)で、戸室石の景石等が検出され、近世初期に遡るその内容の一端が明らかになった。今回はこの発掘所見や、ボーリング調査結果、絵図記載情報等を踏まえ、トレンチ調査(2014-1 地点・2014-2 地点)を実施した。
- 調査にあたっては、吉岡康暢・飛田範夫・森島康雄・藤田若菜の各氏及び金沢城調査研究伝統技術(石垣)専門委員会委員より、現地において指導を得た(10月16日、17日)。
- [2014-1 地点]
2014-1 地点は、近世後期の絵図にある窪地状の描写を池跡の名残と見て、その実態や池跡の広がりを追求する目的で設定した。
調査の結果、一帯には厚さ2メートルを超える近代の造成土が堆積していることが判明した。近世面の検出は部分的に留まったが、トレンチ南西端(ST3)で寛永8 年(1631)以前と考えられる初期の造成土を検出し、北・東に向かって下降している見通しを得た。このことから、東ノ丸南部には、近世初期から池と見られる窪地が存在していた可能性が考えられる。
- [2014-2 地点]
平成17 年度に景石(S03)や板状石材を確認した2005-7 地点の南東側延長部分であり、庭園遺構の連続性を追求するため設定した。
調査の結果、傾斜地において原位置を保つ景石(S01・S02)等を新たに確認した。このことから付近一帯について、東ノ丸東辺に設けられた土塁状高まり(文禄期構築か)の斜面を利用・整地し、景石等を配置した庭園遺構の一角であることが明確になった。
景石は、花崗岩系(滝石?)・安山岩系(戸室石他)等で構成され変化に富む。なおS03は、背後の矢穴の状況から、一旦分割した石材を改めて組み直したものと考えられる。
検出した遺構は、17 世紀初頭に築造され、寛永8年(1631)の大火を機に廃絶した可能性が高いと考えられる。
兼六園の遺構・絵図調査
- 兼六園の現況調査を行い、「竹沢御屋敷総絵図」(安政3年:1856)・「兼六園図」(文久3年~明治3年頃:1863 ~ 1870)等の描写と照合し、近世地割の遺存状況等を確認した。
- [全体の状況]
瓢池・霞ヶ池・曲水等の泉水、栄螺山・山崎山等の築山、蓮池庭(敷地北西)南半・竹沢庭北辺等の斜面部分(園路)は、近世の形状が比較的多く残る(泉水の護岸構造等を除く)。蓮池庭北半、竹沢庭の平地部分は、主要な築山・泉水部分を除き、園路等に大きな改変がある。
- [水路]
竹沢庭南辺の水路は、霞ヶ池南端付近において、護岸石積を含め近世の状況を留めている可能性がある。蓮池庭北半の水路は、霞ヶ池北西付近、黄門橋~瓢池付近の経路は概ね近世と一致するが、護岸の遺存状況は明確ではない。金沢城内への水道(石樋)等については、遺存ないし位置の特定が可能な状況にある。
- [塀基礎・石垣]
塀基礎(石積)については、竹沢庭北辺外郭に連続して遺存(露呈)する箇所が認められる。また、蓮池庭南半等において散発的に見られるが、ほとんどが残欠状を呈する。石垣については、竹沢庭北辺・霞ヶ池北(水道石垣)・栄螺山・川口門付近土塁・成巽閣南面・辰巳長屋台・竹沢鎮守(金沢神社)本殿土台・金城霊沢背面等に近世の状況が残る。
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