城郭庭園等の総合研究(24年度)
事業概要
- 本事業は、金沢城に関する庭園の構造・機能及びその変遷等について、学際的・総合的に検討することにより、金沢城の特質を一層明確にし、併せて城郭の構成要素としての庭園の意義の解明に資することを目的とする。
- 本年度は、事業の方針・詳細内容・体制・計画等について検討・策定するとともに、金谷出丸における絵図資料等の基礎的分析、東ノ丸の園池推定地の地質ボーリング調査等を実施した。
主な成果
金谷出丸の基礎的分析
金谷出丸は、隠居した前藩主、藩主世子、藩主側室・子女等が居住した郭である。絵図の景観年代の検討等、資料の基礎的分析を進めた結果、以下の特徴・課題が明確になった。
- 近世前期の絵図資料は少なく、庭園の成立とその変遷過程について不明な部分が多い。ただし知られているものは、近世後期の景観と大きく異なる。
- 近世後期においては、居住者の交代・御殿の改築・地割変更と密接に関係しつつ、園池・流れ等の改築が頻繁に行われている。とくに天保期以後では10 年程度の間隔で変容している。
- 園池に給水する辰巳用水の経路にも変遷が見られる。なお慶応3年(1867 )には兼六園(蓮池庭)方面からいもり堀城内側を通る新たな導水路が設けられている(『金谷御殿御普請諸事留』)。
- 庭園の構成要素や区画の形状は変化するが、文化期から慶応2年(1866 )頃までにおいては、泉水等を中心とした内庭・馬場を中心とした外庭・畑等により、広義の庭空間が構成されるという枠組みが存続した。
- 慶応3年から明治2年(1867 ~ 1869 )の間、庭園を含む屋敷地全体の大きな改築があった(『金谷御殿御普請諸事留』等)。現存する庭園(尾山神社神苑)を考える上で重要であり、今後も文献・絵図等資料の検索を進める必要がある。
東ノ丸の地質ボーリング調査
- 東ノ丸の園池推定地において実施したボーリング調査については、明確な堆積層等の資料は得られなかった。今回設定した地点は近代の攪乱を受けている可能性があり、次年度は周辺に調査範囲を広げて実態把握を目指す。
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