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平安時代前期~中期
豊財院 羽咋市白瀬町ル-8
像高 172.5センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
馬頭観音像は、全国的に見て作例が極めて少なく、本像は、福岡県太宰府市の観世音寺蔵のものとならんで、我が国で希有のものである。
三面六臂の像で、彫眼。頭部は、宝冠の正面に馬頭、天冠台とその左右に焔髪、天冠台下に地髪を彫り出す。本面のほか、左右耳の後方に脇面二面を有し、面相の表情は忿怒相を示している。腕は、両肩で矧ぎ、六臂のうち二臂は胸部で組んで印を結び、他の四臂は持物を失なっている。天衣・条帛・裳をつけて直立する馬頭観音像である。年代は、平安時代前期~中期である。
昭和60年「石川県の文化財」より
平安時代前期~中期
豊財院 羽咋市白瀬町ル-8
像高 186.3センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
豊財院は、古くは白狐林と号し、瑩山紹瑾が草庵を結んだ跡に、その弟子明峰素哲が正和元年(1312)にこの寺を創建したものと伝えられる。同寺には、聖観音立像・馬頭観音立像・十一面観音立像の3観音が伝蔵されている。3躯とも、像背面肩に朱漆で次の銘が書かれている。「三観音之内、元禄元年戊辰三月吉日、奉再興弘法大師御作、為月妙林菩提也、施主加能屋与兵衛、白石山豊財禅院槃苔台、現住月澗(判)」。本来、この3観音は、羽咋郡志賀町矢駄の観音堂に安置されていたもので、元禄元年(1688)豊財院に移されたものと考えられる。3躯とも檜材、一木造りで、内刳りを施し、岩座の上に蓮華座を組み合わせた台座上に立つ。胡粉彩色の痕跡が残り、腕部はともに後補である。
本像は、彫眼。白亳は水晶で、頭部は、垂髻・天冠台・地髪を彫り出す。腕は、両肩と臂・手首で矧ぎ、両足先は矧ぎ付ける。左手は屈して蓮華をとり、右手は垂下して第1・2指を捻じる。天衣・条帛・裳をつけて直立する聖観音像である。年代は、平安時代前期~中期である。
昭和60年「石川県の文化財」より
平安時代前期~中期
豊財院 羽咋市白瀬町ル-8
像高 166.7センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
聖観音・馬頭観音とともに本像は、豊財院の般若堂に安置されている。3躯ともに作風は共通し、条帛や裳、衣文線は、ほどよく整理され、彫りはやや浅くなり、目の形は上まぶたがふくれて伏目がちである。量感には富んでいるが、姿態の動きが少なく、素朴な表現となっている。このようなことから、おそらくこれらの像は、地方仏師の手になるものと思われ、同一人の作と考えられる。
本像は、彫眼。白亳は水晶で、頭部の髻頂と地髪上に十一面の化仏を付け、天冠台・地髪を彫り出す。腕は、両手の上膊・臂・手首で矧ぎ、両足先は矧ぎ付ける。左手は屈して蓮華を挿した水瓶をとり、右手は垂下して第3・4指を捻じる。天衣・条帛・裳をつけて直立する十一面観音像である。年代は、平安時代前期~中期である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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