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平安時代末期~鎌倉時代初期
重蔵神社 輪島市河井町字宮前4-69
(東京国立博物館保管 東京都台東区上野公園13-9)
縦 21.4センチ 横 19.1センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
寺院の法会の行事の一つに「行道」がある。一般には、阿弥陀仏などを中心に、菩薩や八部衆などが従い、仏の来迎をかたどって行列をつくり練り歩く行事で、この際に用いる面を「行道面」という。
本面は、その希少な作例の一つであり、静止的で品格のある表情は、行道面としての特徴を十分に示している。ややふくれた伏目がちな眼、優雅な唇、美しく結いあげられた頭髪などの表現や彫法などにより、本面は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての年代に造られたと推定される。
昭和60年「石川県の文化財」より
平安時代後期
久麻加夫都阿良加志比古神社 七尾市中島町字宮前ホ部68番地1の1
像高 68.0センチ 膝張り 44.0センチ 膝奥 30.0センチ
重要文化財 昭和25年8月29日指定
本像は、一木造り、丸彫りで、頭部に異様に大きい巾子冠を頂き、変形の袍衣に身を包み、胸前に手をこまねいて坐する神像である。本来は笏を手にしていたと考えられ、取り付け用の穴が残っている。また、顔や胸部は胡粉で彩色し、眉や髭を墨で描く。袍衣は花文を散らしているが、冠や袍衣が、通例の神像と比して、異例の表現をとるところに特色がある。彫法は、神像特有の簡素なもので、衣裳の細やかさは省略され、厚く肉どる量感に満ちた像容である。また、両眼を大きく見開く強い面相には神威があふれている。年代は、平安時代後期と考えられる。
なお、久麻加夫都阿良加志比古神社は、阿良加志比古神・都奴加阿良斯止神を祀り、延喜式内にみえる古社で、通称「おくまかぶと」と称され、古くから「熊甲社」・「熊甲大明神」と称し、能来庄の惣鎮守として崇敬されてきた神社である。
昭和60年「石川県の文化財」より
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