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所在地 鳳珠郡能登町宇出津地内
(八坂神社奉賛会 鳳珠郡能登町字宇出津)
〔キリコが乱舞する状況〕
県指定無形民俗文化財 平成元年10月23日指定
宇出津のキリコ祭りは、7月第1金曜日・土曜日、鳳珠郡能登町字宇出津チ58(漆原町内)にある八坂神社の大規模な祭礼行事である。宇出津の39町(1965世帯)が50基以上のキリコ奉燈を出し、神輿が大暴れするところから「あばれ祭」とも呼ばれる。
1 7月第1金曜日の行事
1 神輿の町まわり 2基の神輿が八坂神社を出て宇出津の町内を二方向に分かれて回る。
2 棚木づめとキリコの乱舞
夜になると宇出津全町のキリコが東部の棚木海岸に勢揃いし、延長1キロ近くに達する。それより順次役場前の海岸広場へくり出し、笛・太鼓・鉦のはやしのもとに大松明の周辺を乱舞する。
2 7月第1土曜日の行事
1 神輿の町まわり 前日に引き続いて宇出津町内をまわる。
2 町づめと入り宮
夕刻、宇出津全町のキリコが西部の天保島方面に勢揃いする。夜になると、2基の神輿がそれぞれ前後にキリコを従え、笛・太鼓・鉦もにぎやかに列をつらねて八坂神社へ向かう。その道中、神輿を海や川あるいは火の中に投げ込む大暴れがあり、深夜になって八坂神社に入る。
伝承によれば、近世の初期に宇出津地方に疫病が流行した時の、十村の桜井源五(初代の源五は延宝4年(1676)没)が京都の祇園社(現、八坂神社)から牛頭天王を勧請して盛大な祭礼を始めたのが八坂神社の起源だといわれる。社名も牛頭天王あるいは祇園社などと称した。
宇出津の氏神は東部の大棚木に白山神社、西部の酒垂町に酒垂神社がある。その中間の山手の漆原に建てられたのが八坂神社で、特定の氏子はないが、疫病鎮圧のため創祀されたところから全町の崇敬をあつめ、白山・酒垂神社の氏子が一体となって上記のごとく盛大な祭礼行事を行うようになったもの。
所在地 七尾市江泊町、中能登町金丸、中能登町藤井
(日室の鎌祭り保存会 七尾市江泊町、鎌の宮諏訪神社鎌打ち保存会 鹿島郡中能登町金丸、藤井の釜打ち神事保存会 鹿島郡中能登町藤井)
県指定無形民俗文化財 平成4年10月9日指定
信州の諏訪大社を総本社とする諏訪神社には、本殿を設けず神木を祀って特殊神事を行い、古い諏訪信仰を伝承するところがある。特に能登の次の3社の鎌打ち神事を中心とする伝承は、民俗学的に注目されるのである。
(1)七尾市江泊町日室の諏訪神社
8月25日に権現迎えと称して、七尾で打たせた2挺の鎌(男鎌・女鎌)を日室に迎え、同地の開祖の屋敷跡に2番奉斎する。27日に、その鎌を山頂の諏訪神社に遷して風鎮祭を行ってから、その鎌を当元が拝殿後方のタブの老樹に打ち込む。鎌は約20センチ、魚形を呈する。
(2)中能登町金丸の鎌宮(かまのみや)諏訪神社
境内奥のタブの神木を祀り社殿はない。8月27日は前方にゴザを敷いて風鎮祭を行う。かつては同地の旧家が2挺の左鎌(約22センチ)を奉納 し、これにシデと稲穂をつけて神前に供え、祭典後、当番代表が神木に鎌を打ち込む。
(3)中能登町藤井の住吉神社に合祀の諏訪神社
諏訪神社は建物がなくヤマサカキの老樹を祀っていたが、明治40年住吉神社に合祀された。しかし合祀後も風鎮祭を継承し、8月27日住吉神社にて祭典後、神職・区長が境内のタブの巨樹に2挺の鎌(約27センチ)を打ち込んでいる。
鎌は諏訪明神のシンボルとされ、信州の諏訪大社では薙鎌(なぎがま)と称し、今も分社の神霊として薙鎌が授与され、7年目ごとの御柱祭の御柱には薙鎌を打ち込む古例を伝えているが、一般には鎌打ちの行事はほとんど見られなくなった。したがって、能登の鎌打ち神事は諏訪信仰の伝承をよく伝えたものとして注目される。
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