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室町時代前期
中能登町役場 鹿島郡中能登町井田4部1
高さ27.0センチ 口径4.9センチ
肩径17.8センチ 底径9.8センチ
高さ27.0センチ 口径4.4センチ
肩径17.6センチ 底径9.4センチ
県指定文化財 昭和61年8月22日指定
この1対2点の瀬戸灰釉劃花文瓶子は、昭和33年(1958)、耕地整理の際、対をなして出土した。おそらく最初から神、仏前に備える1対の瓶子として作られたものであろう。細い口縁の中程に蓋うけ突帯がめぐり、まるみをおびながらやや張った肩部を経てゆるやかなふくらみをもつ胴部へつらなる。胴上部の3分の2ほどは幅2ミリ程度の箆をもちい太い丸彫技法で、1株の草葉文が描かれている。構図は1対ほぼ同じであるが、仔細にみると1点は1株13葉、他の1点は11葉を描く。器体を覆う灰釉はむらなく施され、淡緑色の美しい色調をしている。器形、技法、色調などからみて、古瀬戸最盛期14世紀中葉代の作と考えられる。また、この瓶子は出土地の地名から推して最勝講会を支える在地領主が宗教行事のために奉斉したものと考えられ、遠く尾張から搬入され、仏具としてもちいたこの瓶子を如何に貴重品として特別扱いしたかは一度破損した底部を漆で補修接合して使用していることにも伺われ興味深い。
縄文時代後期末葉
志賀町今田区 羽咋郡志賀町今田
北陸型御物石器
長さ32センチ 頭部最大幅9.3センチ
頸部幅7.2センチ 体部中央幅8.6センチ
県指定文化財 昭和63年4月8日指定
御物石器とは、縄文時代後期後葉から晩期全般という限られた時期に用いられた石器で、用途・機能については不明であるが、何らかの祭式に使われたものであると考えられている。その名称は、鳳至郡穴水町字比良出土のものが、明治天皇に献上され皇室の御物となったことに由来しており、本県と深いかかわりをもつ縄文石器である。富来町今田出土の御物石器は、もとは鎮守である小彦名神社に奉納されていたもので、良質な淡赤褐色の粘板岩室石材を入念に敲打ち整形し、全面を研磨、頭部と体部に加飾した精製品である。長さ32センチ、幅は頭部9.3センチ、頸部7.2センチ、体部8.6センチで、断面は楕円形に近く、底面は緩やかな弧を描く。文様は沈文で、頭部に三叉文、体部にE字状文を浅く彫っており、その特徴から縄文時代後期末葉(約3000年前)の所産と考えられる。御物石器は、岐阜県飛騨地方を中心に、北陸や長野県、愛知県西部、畿内の一部地域などで出土しており、独自の分布圏をもつところに特色の1つがある。県内では真脇遺跡や御経塚遺跡など能登内浦および手取川流域を中心とした10遺跡から19箇の出土例がある。本品は、現時点において能登外浦における唯一の完存例であり、石材の原産地と思われる新潟・富山県境地域との交易も考えられて貴重である。
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