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第1期事業の成果を踏まえ、第2期事業では、総合的な編年史料集の編纂事業を行うこととしている。令和3年度は『金沢城総合年表 後編』の刊行に向けて、補足的な調査を行うとともに、最終的な収載項目を決定し刊行した。
(1)弘化2年(1845)金谷出丸に世子慶寧の金谷御殿と真龍院(12代前田斉広正室)の御殿(松の御殿)が並置されることになったのを背景に、翌弘化3年、13代斉泰の子息である基五郎・豊之丞の住まいを二ノ丸御殿の松の間二の間に設けることとしたが、これに伴い年寄中席が檜垣の間に移していたことなど、従来知られていなかった記述も確認できた。
(2)安政5年(1858)2月の地震で、御居間廻りや御居間先土蔵も被害を受けた。御居間廻りの普請に取りかかるとともに、同年6月には御居間先土蔵の取りこわしを行うこととし、7月から9月にかけては、御庭の手入れや御居間先に的場を築くなど御居間周辺の整備が進められたことが新たにわかった。
(3)前田慶寧が金沢城を出て、本多邸に移った日について『加賀藩史料』では記されていなかったが、「諸事留帳」などの記述により、明治2年(1869)11月18日と確定できた。
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