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鎌倉時代前期
妙観院 七尾市小島町ヌ63甲
像高 69.2センチ
県指定文化財 平成23年2月1日指定
七尾市小島町の真言宗寺院である妙観院は、もとは七尾城山の牛ヶ首にあったが、天正9年(1581)に前田利家によって現在地に移されたと伝えられる。 本像は、妙観院の本尊である。形状は螺髪を旋毛状とし、肉髻珠と白毫相はともに水晶が嵌入され、耳朶は環状で首に三道をあらわす。膝上で定印を結び、結跏趺坐をする。
正面からは張りのある体躯、臂を広げた安定感のある姿をあらわし、側面からは頭部がやや下向きの穏やかな姿態が見られる。伏し目で眦が上がり、頬がゆるやかに膨らんだ円満な顔立ちは、平安時代の優美な王朝文化の伝統を引いた鎌倉時代前期の様式である。衲衣は左肩から腹前を渡り右肩にかかり、折り返した衲衣の端を中央でU字形に垂らしている。衣文線は写実的でありながら、松葉形衣文を要所に交えて深浅自在に彫り出されており装飾性への指向が認められ、中央の仏師の技法も各所に見られる。
構造は、少々変則的ではあるが緊密に構成された本格的寄木造りである。像内は内刳りが施され矧目と像底地付部に布張りを施し、像内に黒漆塗りを行った丁寧な仕上げである。全体に漆箔を施されていたと思われ、額、首などの各所に箔の痕跡がありその一部には後補も見られる。
このように、妙観院の木造阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代前期の写実性と装飾性を兼ね備え、後補も少なく保存状態も良好であり、県内のこの年代における阿弥陀如来像の基準作といえる貴重な仏像である。
康永元年(1342)
東三番町町内会 白山市東三番町21-5
像高 57.0センチ
県指定文化財 平成23年12月20日指定
本像は、白山比咩神社の前身である白山本宮所属の白山寺にあった、地蔵院護摩堂の本尊として祀られていたと伝えられる。白山寺は白山本宮の境内にあり、地蔵院護摩堂、本地堂などが立ち並んでいたが、明治時代初期の神仏分離の際に堂は失われ、本像も取り除かれて白山寺から遷座したといわれている。
形状は白毫相、首に三道をあらわし、耳朶は環状である。袈裟を纏い、左手に宝珠(後補)を捧げ、右手は一指、三指、四指を念じる。半跏踏下坐する。
構造は、頭躰部、両肩、両手、膝部、足先、台座の八部分による蠟型別鋳組合せである。表情はやさしく穏やかで、衣文は写実的で鎌倉時代の様式技法を踏襲し、蠟型鋳物独特の美しい肌合いの仕上がりである。全体に鍍金をした金銅仏であったと思われるが、現在は剥落しており鍍金はほとんど残っていない。
台座にある銘文によると、南北朝時代の康永元年(1342)に作成されたものであり、江戸時代の天和2年(1682)に加賀藩の鋳物師「平井但馬守家長」が台座部分を補鋳したことがわかる。
このように、銅造地蔵菩薩半跏像は、洗練された技巧が見られる優品であり、制作年が判明している南北朝時代の基準作として貴重な仏像である。また、白山における神仏分離の歴史を伝える遺例としても貴重であり、文化財的価値は高く、有形文化財に指定し、その保存を図ることが必要である。
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