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平安期
薬王院 加賀市山代温泉18-40-甲
像高 167.2センチ
県指定文化財 平成3年4月11日指定
本像は、もと大聖寺の神明宮・白山宮両社(現在の加賀神明宮)別当であった慈光院の旧蔵で、後に有縁の薬王院移座したものと伝える。左右の前肘中半より先と両足、化仏、両耳朶、天衣垂下部などが腐蝕欠失し、後補となっていることが惜しまれるが、本躰像高167.2メートル(後補後復元値)を測る欅材一木造りの堂々とした十一面観音立像である。躰は肉付厚く、腰幅広く、ゆるやかに偏立する躰全体の動きは官能的で雄大な感じを与える。面相は肥満し豊頬にして頸部が太く短く、眼は彫りが浅いが切れ目細く、鼻梁は直線的であり、口唇は鋭い曲線を描き結ばれている。このように、像全体の重厚な作風や面相、裳の衣文などの様式から平安期の作と考えられる仏教彫刻の優作である。加えて、十一面観音は白山信仰の本地仏であり、南加賀に伝わるかつての白山五院関係の希少な遺品としても歴史的意義が極めて高いものがあり、本県の文化史上貴重な文化財である。
南北朝時代
永光寺 羽咋市酒井町イ部11
像高 104.5センチ
県指定文化財 平成5年8月25日指定
徹通義介は、永光寺の開祖瑩山の先師にあたる人で、入宋して禅を修め永平寺3世となった後、加賀で大乗寺を開山し、延慶2年(1309)91才で没している。本像は、寄木造り、玉眼嵌入、下地布貼りで、法衣は朱漆、袈裟は青漆で漆彩色されている。円頂、法衣に袈裟を着け、右手に如意、左手は軽く握り、膝上に掌を上にして置き、衣を長く垂らして椅子に坐する。面相は極めて写実的で、老師晩年の温容をよく伝えている。形式化された法衣や袈裟の表現から、明峰素哲・峨山韶碩坐像とほぼ同年代の南北朝時代の製作になるものと考えられる。膝前衣背面全面に江戸時代の補修時のものとみられる長文の銘が認められるが、そのほとんどが判読できない。なお、沓、沓台、如意は江戸時代の後補である。
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